しかもヨーロッパは、新世界との結びつきを強め、新世界各地に砂糖プランテーションをつくり、さらには新世界原産のジャガイモなどを輸入した。そうすることで、ヨーロッパは、生活水準を高めていったのである。明確な時期を特定することは不可能だが、おそらく乾隆帝の治世下において、イギリスと中国の生活水準は逆転し、イギリスのほうが豊かになったものと思われる。この逆転現象は、イギリス産業革命の帰結でもあった。

コミッション・キャピタリズムの成立

イギリスは18世紀後半に産業革命に成功し、世界最初の工業国家となった。だがイギリスは、そのために覇権国家になったわけではない。そもそもイギリスの貿易収支は赤字であり、プラットフォームを形成したわけではなかったからである。ここで大事なのは、イギリス人は、多額の手数料(コミッション)をえていたということなのである。

手数料は、目に見えない。そのため、これまでの経済史では、あまり重視されてこなかった。だがプラットフォームを重視するなら、手数料はきわめて大切になる。それは、覇権国が築いたプラットフォームを使用することに対し、他国は手数料を支払うことになると考えられるからである。経済活動は、賭博に似ている。賭博に参加する人たちは、胴元に寺銭を支払う。胴元は経済活動への参加者にプラットフォームを提供し、参加する人々は、寺銭として手数料を支払う。

このようなシステムをもっとも完全に近い形で体現したのは、19世紀末から20世紀初頭にかけてのイギリスであった。世界最初の産業革命は18世紀後半にイギリスで生じたが、20世紀には、イギリスの工業生産はドイツやアメリカに追い抜かれた。イギリスの産業の中心は、工業から金融業に変わったといわれる。しかしこれは、各国の経済の関連性を重視せず、支持すべき考え方ではない。

イギリスは、20世紀になると世界の工場としての地位を、ドイツやアメリカに譲ることになったことは紛れもない事実である。だがその一方で、イギリスは世界最大の海運国家であり、世界中の商品を輸送したばかりか、ドイツとアメリカの工業製品の少なくとも一部をイギリス船で輸送し、イギリスの保険会社ロイズで海上保険をかけたのである。