統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の問題をめぐって、政治と宗教の癒着が大きな焦点となる中で、特定の信仰などを持つ親の下で育った「宗教2世」に対する関心が高まってきている。

ただ、これまで新興宗教などに馴染みがなかった一般の人々にとってみれば、「カルト」と称される信仰を利用した反社会的な集団で育った子どもの問題、異端とされる過激な宗教思想による被害者というイメージが先行し、あまり身近な感じはしないかもしれない。

カルトではなく、ごく普通の宗教であっても

しかし、社会に溶け込んでいる伝統宗教などであっても、宗教2世の問題は多かれ少なかれついて回る。なぜなら、信者の子どもはもともと「自ら進んで入信した」立場にはなく、遅かれ早かれ自分でその決断を迫られる立場にあるからだ。しかも人間関係を抜きには語れないことが、ただでさえ複雑な状況をさらに複雑にしている。

私は、奈良県天理市生まれで、両親が天理教の信者だった。実家から歩いていける距離のところに天理教教会本部の神殿があり、その神殿の中心にある聖地「ぢば」で、創造神である「天理王命(てんりおうのみこと)」が最初の人間をお造りになったと教えられて育った。教祖の中山みきは、姿を「お隠し」になっているだけで、魂は今も存命で人類の救済のために働いている、と。

天理教は、PL(パーフェクト リバティー)教団などと並んで高校野球の印象が強く、世間では比較的よく名前が知られている新興宗教の一つだ。そんなごく普通の新興宗教でも、やはり宗教2世ならではの問題があった。このことは非常に重要なポイントであり、私が信仰集団の中で生まれ育つ中で経験した苦しみや悩みは、程度の違いはあるものの、どのような信仰集団にもつきまとう普遍的な課題であるといえる。その主なものを箇条書きにすると、以下のようになるだろう。

1、親の信仰を受け入れることが愛情の前提条件となっており、承認問題を引き起こしやすい
2、個人としてみなされないため、思想信条の自由が蔑ろにされる
3、信仰集団とコミュニティが一体化しており外部がない。孤立の可能性が高い

順に説明していきたい。