東京都と接する埼玉県の各市は、都内に鉄道で通勤するサラリーマンのベッドタウンとして発展してきた歴史がある。川口市しかり、和光市しかり。

しかし、荒川を隔てて東京都板橋区と隣接する絶好な立地であるはずの戸田市には、今から約35年前である1985(昭和60)年に埼京線が開通するまで、なんと鉄道の駅が1つもなかった。

池袋駅から埼京線に乗ると、最も都内に近い戸田公園駅まで快速では15分弱で到達する。戸田市内にある鉄道駅は埼京線の戸田公園、戸田、北戸田の3駅。これらの駅が開業するまで、戸田市内から都内へ至るための公共交通は、京浜東北線の西川口駅、蕨駅(わらびえき)行きのバス、または池袋駅東口行きのバスだけだった。

埼京線が開通するまでの長い道のり

高度経済成長期に、年々人口も自動車も増え続けていた戸田市では、朝夕の通勤時には恒常的に道路渋滞が発生していた。なんとか早期に、都内へと通じる鉄道を開通させなければと、昭和30年代に開始されたのが、東京都内を走る地下鉄6号線=現在の都営三田線を板橋区の志村を経て埼玉県南部の戸田、蕨、浦和、与野、大宮へと誘致する計画だった。しかし、結局その6号線は、板橋区高島平方面を通ることになり、戸田市内にはやってこなかった。

『戸田市史 昭和から平成へ』[平成28(2016)年戸田市発行]には、昭和30年代に始まる地下鉄誘致活動から、その後東北上越新幹線の線路が市内を通過する計画が発表され、埼京線の開通が実現するまでの道のりが延々と記されていて、それはまるで壮大な歴史物語のようでもある。

地下鉄誘致が遅々として進まないなか、1971(昭和46)年には、東北・上越新幹線が戸田市内を通過することが国鉄と埼玉県から内々に通達され、戸田市は当初これに反発する。その後、新幹線とともに通勤新線が建設する案が浮上し、県をはじめとする沿線自治体の態度は徐々にその方向へと傾いていく。