父親から怒鳴られない日はなく、結局、ミツルさんは厨房で製麺だけを担当するように。父親は10年ほど前、ミツルさんに店を譲ることなく、のれんをたたんだ。最後まで店の命ともいえる「かえし」の作り方を教えてくれることはなかったという。

当時、ミツルさんは結婚していた。母親の知人による紹介の「見合い結婚のようなものでした」という。父親が店をやめて失業状態となったとき、子どもも2人いた。家族を養うために懸命に仕事を探したものの、すでに40歳を過ぎており、働き口は非正規雇用ばかり。うどん店や小売店、配達ドライバーなどの仕事を転々としたが、月給はいずれも20万円ほどだった。

専業主婦の妻とは、ミツルさんの稼ぎが少ないことや、子育ての分担をめぐり言い争いが絶えなかった。ミツルさんはすでに社会保険労務士の試験勉強を始めており、帰宅後はすぐに机に向かいたかったが、妻からは子どもの面倒もみるよう求められたという。

「毎日怒鳴り合いのケンカでした。妻も疲れていたとは思います。でも、私も家族がいたからこそがんばって資格を取ろうと決めたのに……。妻にしてみたら、地元の有名店の跡取り息子と結婚したはずなのに、気がついたら夫は月給20万円の非正規社員。向こうにしてみたら期待外れだったのかもしれませんね」

離婚後も毎年受験、ADHDの診断が転機に

ミツルさんはその後、妻の希望にこたえるため、会社を経営する知人に頼み込み、正社員として採用してもらった。しかし、ここでもケアレスミスを連発。しばらくして社長から「将来、社会保険労務士になるということは、うちで長く働くつもりはないのだから」という理不尽な理由で25万円の月給を20万円に減らされてしまった。

さらに悪いことに、そのころ妻との離婚が決定。月給25万円を基に算出した養育費5万5000円を毎月支払うと約束したばかりだった。現在まで養育費は一度も欠かすことなく払い続けている。しかし、「子どもが父親を怖がっている」という理由で、離婚してから5年間、一度も面会を許されていないという。

離婚後はそれまで住んでいた公営住宅に妻と子どもを残し、ミツルさんが賃貸アパートに移った。給与カットに養育費の支払い、家賃負担――。急激な負担増に、食費に事欠くこともあったという。この間も社会保険労務士の試験は毎年受け続けた。自己採点によると1点差で落ちた年もあり、そんなときはしばらく何も手につかないほど落ち込んだ。

八方ふさがりの状況の中、転機が訪れたのは昨年はじめ。会社の同僚から「発達障害だと思うから、一度病院に行ったほうがよい」と勧められたのだ。精神科を受診したところ、昨年春ごろにADHDと診断された。

ミツルさんは「視界が開けた気がしました。今まではただの性分だと諦めていたことが、障害が原因だとわかったんです。手品の種明かしをされたようでした。不思議なことに原因がわかると、パチンコ通いも途端に興味がなくなったんですよね」と話す。