そうなると、自発的に部下から報連相をしてもらうサイクルが定着していきました。そうすることによって、すべての情報を取りにいかなくても自然と情報が入ってくる仕事の運び方が通常となっていったのです。つまり、自分も部下も「タイム・リッチ」な仕事の循環が実現できたのです。さらに、このアクションを極めていくことは上司としての自分の意思決定のスピードを上げることにもつながりました。

ソフトバンクアカデミアの事業プレゼンで年間1位だが…

2010年にソフトバンクアカデミアが創設されます。創業者である孫正義氏の後継者を育成するという目的で設立された機関には、当時2万人のソフトバンクグループ社員から200名が選抜されました。アカデミアではプレゼンをする機会が1年間に3〜4回ほどあります。自分の中ではターニングポイントになると考えていたので、相当気合いを入れて取り組んでいました。事業のヒントを探して、資料を集めたり、有識者にインタビューをしたりかなりのリソースを業務時間外に注ぎ込んでいきます。その際に、「自分が孫正義だったらどういう事業提案を出すだろうか」ということを考えるのですが、答えがないので、脳がちぎれるほど考え続けるとどんどん時間がなくなっていきます(笑)。一方で通常業務もありますから、感覚的には24時間ビジネスのことを考えているような日々でした。その甲斐もあってか、ソフトバンクアカデミアの事業プレゼンでは年間1位をとることができました。

今思えば、このときの体験が、独立起業してからの自分を支えています。この24時間の時間の使い方はまさに「タイム・リッチ」な時間だといえます。やらされているのではなく、やりたいからそのことに時間を使う。この感覚は独立して7年間ずっと継続して体感しているものです。

そもそもソフトバンクアカデミアに参加しようと思ったきっかけは、私が元々やりたかった教育、それと幼い頃から大学まで取り組んでいた書道をITと組み合わせて、ソフトバンクで事業がつくれたらと考えてのことでした。

事業提案をしても、実際にそれがソフトバンクグループで実現できるかというと、やはりそんなに簡単ではありません。当時、ソフトバンクは30年後に時価総額200兆円を目指すと宣言していたぐらいですから、私の提案はその規模感には合わず、1位の評価をいただいたとしてもすぐに事業化は難しいものでした。数々のプレゼンを重ねていくうちに、ソフトバンクグループでやるよりも、自分でやるべきだと考えるようになっていったのです。

そうして通常業務とアカデミアに勤しむ中、2011年に東日本大震災が発生します。通信会社として、被災地・避難所をまわって充電器や代替の携帯電話を配りました。多くの避難所を訪れ、感謝をされることもありましたが、基地局が流されてつながらない状況となったことでお叱りを頂戴したこともありました。時を同じくして震災の4日後には2人目の子どもが生まれ、私は「次の世代へこのことをしっかりと伝えなければ」「私ができる次の世代へ伝えることとはなんだろうか」ということを日夜、自問するようになっていったのです。 

著者:前田 鎌利