タツヒサさん自身は就職氷河期世代。4年制大学を卒業したものの、連戦連敗の就職活動や勤め先の倒産、失業と転職、同居する両親との衝突など一通りのことを経験した。20代のころ、どこかに再就職しなくてはと、たまたま飛び込んだ先が派遣会社だったことから、その後は転職先として複数の派遣会社で営業担当やコーディネーターを経験してきたという。

「『ちゃんとした仕事がしたい』という理由で派遣会社を辞めたこともありました」とタツヒサさん。当時は今ほど派遣という働き方は一般的ではなかった。人間を労働力として右から左へ流すだけのようにもみえる仕事に対し、“虚業”なのではという思いがぬぐえなかったという。

企業が派遣を導入する目的は「人件費の削減」

自分が担当した人が最終的に正社員として就職したという話を聞くと、やりがいを感じることもあった。一方で従業員を派遣に切り替えた会社の工場では、不良品の返品率が上がったり、手指などを負傷する事故が増えたりといった変化を目の当たりにすることも少なくなかったという。

「企業が派遣を導入する目的は人件費の削減に尽きます」とタツヒサさんは言う。派遣労働者の能力の問題ではなく、不安定雇用という構造からくる問題だとしたうえで「日本製品のブランド価値が下がり始めた原因はこのあたりにあるのではないかと感じます」と振り返る。

海外での競争に勝つためという名目で労働者派遣法の規制緩和に踏み切ったものの、そのことが日本製品の品質劣化につながった、というのがタツヒサさんの実感である。

しかし、本人の希望とは裏腹に採用が決まるのは派遣会社ばかり。ある会社では、実態は労働者派遣にもかかわらず、業務請負を装う「偽装請負」が常態化していた。ほかにも技術職と偽って人材を集めながら工場に派遣したり、病気休暇を取得した派遣社員を強引にクビにしたりといった不適切な行為が横行していたという。タツヒサさんも雇用形態こそ正社員だったが、先輩社員からたびたび「やめちまえ」「ムダ飯食らい」とののしられた。

私が派遣会社の名前を尋ねると、2000年代にさまざまな違法行為を繰り返し、社会問題にもなった企業であることがわかった。結局半年ほどで退職。しかし、次に採用されたのも派遣会社だった。

複雑な思いはあったものの、ここまで縁があるなら、派遣労働者のキャリアアップを支え、最終的には安定した仕事に就いてもらうことを目的にしようと気持ちを切り替えた。

新しい勤務先は主に建築関係の人材派遣を手がけていたが、タツヒサさん自らの判断で比較的専門性の低い内装・建材といった周辺業務にもウイングを広げた。派遣先の開拓には苦労したものの、自らの営業成績アップにもなるし、何より最初の職場で経験を積んだ働き手がより専門性の高い業務へとステップアップするのを手伝うことができると考えたからだ。売り上げ増にも貢献できたという。一石二鳥にも思えたが、タツヒサさんの試みを快く思わない上司もおり、人間関係のもつれから4年ほどで退職を余儀なくされた。

不運だったのは、退職した時期がリーマンショックと重なったこと。毎日ハローワークに通ったが、求人情報を検索するパソコンの前には長い列ができ、2、3時間待ちはざらだった。

職種はともかく、一定以上の待遇にこだわったためか、面接にこぎつけられるのは月1回ほど。派遣会社に登録し、面接のない日はチラシ配りや繁華街での看板持ちといった日雇い派遣やアルバイトで食いつないだ。日給7000円につられ、デリヘルで働く女性を送迎するドライバーをしたこともあったという。