鉄道マニアというわけでもないのに、心待ちにしていた鉄道関係のイベントがある。東京ステーションギャラリーで開かれている「鉄道と美術の150年」展(2023年1月9日まで)だ。鑑賞して改めて感じたのは、鉄道と美術は、そこはかとなく相性がいいということだ。なぜなのか? その理由を探ってみようというのが、本稿の趣旨である。
会場に入ってまず目を引いたのは、幕末から明治前半にかけて政治の世界で重要な役割を果たした勝海舟が水墨で描いた蒸気機関車の絵だ。鉄道に関して説明してほしいという宮中からの要請があったそうだ。上手なわけではないが、何だかとてもかわいい。ひょっとしたら、上手ではないから目を引いたのかもしれない。
勝海舟《蒸気車運転絵》(1872年、鉄道博物館蔵)ほか展示風景(撮影:小川敦生)
とは言っても、勝自身は説明になる絵を描こうと必死だったはずだ。「ほら、蒸気機関車なるものは、こんな姿をしているんですよ!」と伝えたい気持ちが実によく表れている。改めて、絵は上手いことばかりが価値を決めるのではなく、内に秘めた気持ちの部分が大切であることがわかった。
勝の絵は、そんな素朴な魅力ばかりではなく、当時の鉄道がなぜ絵のモチーフになったかを物語ってもいる。1872年に東京の新橋と神奈川の横浜の間で開業した鉄道がいわゆる「文明開化」の象徴だったことは間違いない。
当時は静止したものでなければ写真には写らなかった。鉄道が開通した噂は広く伝わっただろうし、どんなものかを見たいというニーズは大きかっただろう。19世紀半ばに写真技法が輸入されて、それほど年月が経っていなかった中で、絵はニュースなどを伝える点において重要なメディアだったのだ。
(左)河鍋暁斎《米国砂漠原野の場(下絵)》(『漂流奇譚西洋劇』より、1879年、公益財団法人河鍋暁斎記念美術館蔵 展示期間=2022/10/8〜11/6)、(右)小林清親《高輪牛町朧月景》(1879年、町田市立国際版画美術館蔵 展示期間=2022/10/8〜2023/1/9 ※2022/11/8〜2023/1/9は、鉄道博物館の所蔵品に展示替え)展示風景(撮影:小川敦生)
明治に入って浮世絵師たちは、蒸気機関車をモチーフにした多くの錦絵(多色摺り浮世絵版画)を手掛けていた。小林清親が描いた蒸気機関車も、その例の一つである。