成田空港は国内で唯一、港から約50kmのロングパイプを用いて航空燃料を届けています。しかし、これは空港がオープンした当初からあったものではありませんでした。その前はどのような方法をとっていたのでしょうか。

現在は千葉港からパイプラインで直送

 成田空港の近くには、関東地方では明治神宮、川崎大師に次いで初詣に訪れる方が多い神社仏閣である成田山新勝寺があります。例年であれば、航空ファンの“定期ルート”として、成田山で年越し初詣をしたのち、成田空港での初着陸を眺め、東からの初日の出を拝むという一連のコースが考えられますが、今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で、残念ながらお預けという人も多かったのではないでしょうか。

 成田山の北側、本殿に最も近い有料駐車場の近くに、大型ショッピング施設「イオンモール成田」があります。実はこの土地の一部に成田空港(かつては新東京国際空港)開港当時、空港の血液ともいえるジェット燃料を運ぶための中継地「燃料輸送基地」がありました。

 現在の成田空港は、千葉港頭から約50kmにもおよぶパイプラインを埋設することで、乗り入れる航空機に使用するのに十分なジェット燃料を、迅速かつ安全に輸送できるようにしています。この国内唯一のパイプラインによる燃料搬入、実は成田空港が建設された当初から、内陸部にある空港の燃料問題を解決する手段として計画されていました。ところが、開港が遅れたにもかかわらず、諸事情から運用が間に合わないことが判明。急遽かわりの航空燃料輸送方法を準備することになったのです。

 たとえば、羽田や関西、中部といったほかの現在国際線が多く乗りいれる国内空港は、海岸近くにあることが多いです。海が近いところは、直接タンカーが横付けできるふ頭を設ければよいのですが、成田空港は国際線メインの空港としてスタートしたにも関わらず、内陸にあります。もし成田空港でパイプラインを使用できなければ、車両で輸送するしかありません。

パイプラインが間に合わない! さあどうする?

 そこで当座の輸送案として、成田空港近くまで燃料を鉄道で輸送し、そこから暫定パイプラインで空港内まで搬送する方法を設定します。燃料暫定輸送基地に、それまで空港建設用に整備していた市内の土屋地区にある資材置き場を使用することになりました。

 燃料は、千葉港頭から総武本線で佐倉駅、そこから成田線で成田駅というルートか、もしくは鹿島港から鹿島線から佐原駅、そこから成田線を経由して成田駅というルートの、2パターンの鉄道ルートで成田駅まで運ばれ、そこから専用線で土屋地区に設置された燃料暫定輸送基地へ。基地からは、成田空港の燃料備蓄タンクまで長さ約10kmの暫定パイプラインを伸ばすことで、空港内への燃料供給を実施していました。

 ただ、これについてもパイプライン自体の工事遅延があったほか、燃料暫定輸送に関しても、騒音問題だけでなく、安全性の確保など、地元との調整が課題として横たわっていました。そのため開港は、それがある程度クリアしたことで実現したといえるでしょう。

推測が多分に含まれるものの、成田空港は、新東京国際空港として1978(昭和53)年5月20日に開港するにあたり、少なくともその前の開港予定日である3月30日には、航空燃料暫定輸送の準備は整っていたはずです。

 鉄道輸送で使用する貨車は、国鉄タキ43000形貨車をベースに、安全性を向上させた改良型のタキ40000形タンク車が合計140両新造され、当初は全車両が航空燃料輸送用に用いられていました。このタンク車の横の専用種別標記には、ガソリン専用ではなく、灯油(A-1) 専用と描かれており、ジェット燃料輸送専用であることが伺えます。これらのタンク車を引っ張ったのは、ディーゼル機関車の国鉄DD51形800番台でしたが、鹿島や千葉から成田まで、10両以上の編成で航空燃料を満載していたことから、かなりの重さとなっていたのではないでしょうか。

いつから今の体制に?

 その後、タキ40000形たちは、安全性を重視しすぎたためか軸重が重かったために、暫定輸送が終わると、名古屋に転出。しかも、各種制約から運用区間は幹線に限られるため現在は残存していないようです。佐倉駅から成田駅に向かうあたりや、成田駅から基地までのルートで、この長大な編成をみてみたかったものです。

 現在のように千葉港から成田空港へ長大なパイプラインが繋がり、これを用いて航空燃料を輸送するようになったのは、1983(昭和58)年8月8日のこと。とはいっても、最初は半分ほどの燃料がパイプラインで輸送され、その翌年にすべての燃料がパイプラインで移行することとなりました。

 かつての航空燃料暫定輸送中継基地の跡地「イオンモール成田」は、JR東日本に乗って成田駅から成田空港駅に向かうとき、成田線から右に分線していく際、右手に見ることができます。ちなみに、筆者(種山雅夫、元航空科学博物館展示部長 学芸員)は、「イオンモール成田」になる前の暫定基地の跡地を道路傍から見たことがありますが、広さは充分で、操車場かと思うくらいでした。