アメリカ製の兵器は、第2次世界大戦においてツンドラ地帯からジャングル、砂漠、絶海の孤島まで至る所で使われました。そうしたなか、太平洋地域と北欧で評価が真逆だった戦闘機があります。双方でどう捉えられていたのか見てみます。

高性能な次世代戦闘機を目指して開発

 兵器というのは、純粋にその性能だけでなく、こちら側の使い手の腕の良し悪し、さらには、敵が用いる兵器との優劣の対比や、敵の運用方法の得手不得手で、評価が変わってくるものです。

 ほぼ全世界を巻き込んだ第2次世界大戦では、戦った相手や戦場の違いにより、同じ兵器であっても、評価がまるで異なるケースがいくつも存在しました。その代表例のひとつが、アメリカ製のF2A「バッファロー」戦闘機です。

 そもそも、世界の航空テクノロジーが飛躍的な向上を示したのは1920年代末から1930年代にかけてのことです。まさに日進月歩のスピードで飛行機が進化するため、各国の軍は常に新型機の開発を行っているような状況にありました。

 それはアメリカも同様で、同国海軍はそれまで複葉艦上戦闘機を運用していたものの、より高性能な次世代の艦上戦闘機として、「単葉(主翼が1枚)で、引き込み式の主脚を持ち、密閉式風防」の新型機を求めました。

 この要求仕様に沿って、ブリュースター社は「ブリュースター・モデル139」(略称B-139)を製作、これがF2Aとして見事コンペを勝ち抜き、制式化されます。ちなみに、もしF2Aがダメだった場合の「保険」として採用されたのが、グラマン社のXF4F-2です。これは後にF4F「ワイルドキャット」として改良発展し、零式艦上戦闘機(零戦)の好敵手となった機体です。

愛称「バッファロー」はイギリスが命名

 F2A戦闘機はともかく、全長が短く太い胴体形状なのが特徴でした。これは高速化と不時着水の際の浮力を大きく得ることに加えて、空母の搭載機数を増やす目的で採られた形状でした。

 同機は1937(昭和12)年12月に初飛行すると、翌1938(昭和13)年から生産が開始されます。そして、1939(昭和14)年9月に第2次世界大戦が始まると、急きょ戦闘機が必要になったイギリスやベルギーが購入(ただしベルギー購入分は同国の敗戦によりイギリスへ譲渡)します。

 そのような経緯で、イギリスは自軍に配備した際、本機に「バッファロー」(アフリカスイギュウ)の愛称を付与、これがアメリカに「逆輸入」され、アメリカでも同じ愛称で呼ばれるようになりました。一説には、この愛称は開発元の社名ブリュースター(Brewster)の語呂合わせと、いかにも突っかかってくる直前の猛牛のようにも見える胴太で寸詰まりな同機のシルエットに因んで命名されたともいいます。

零戦や「隼」には惨敗 「ビア樽」なる仇名まで

 こうして「バッファロー」と命名されたF2A戦闘機は、1941(昭和16)年12月に日米が開戦し、太平洋でも戦火が上がるようになると、イギリス空軍やオランダ領東インド航空隊、オーストラリア空軍などにより、海峡植民地(現マレーシアやシンガポールなど)、ビルマ(現ミャンマー)、オランダ領東インド(現インドネシア)をめぐる戦いに投入されました。もちろんアメリカも、ウェーク島やミッドウェーをめぐる戦いなどで使用しています。

 しかしF2A「バッファロー」は、急速に航空機開発技術が発達していた時期に造られたため、日本軍が装備する零式艦上戦闘機(零戦)や一式戦闘機「隼」とは、3年ほどしか時間的な差はないにもかかわらず、性能には圧倒的な差がありました。ゆえに早々に第一線から引き揚げられてしまいました。

 ちなみにその外観のせいで、日本軍パイロットは本機のことを、時に「ビア樽」と呼んだという話もあります。

 このように、“赤道至近での戦い”におけるF2A「バッファロー」は、いうなれば「出ると負け」といったような情けない存在でした。ところが、こんな「バッファロー」が大活躍し、真逆の評価が与えられた戦場がありました。それは北極にほど近い、北欧での戦いです。

「南の戦場」とは評価が一変した「北の戦場」

 第2次世界大戦時、大国ソ連に領土の割譲を迫られ、祖国を守って必死に戦っていたフィンランドは、世界各国から様々な兵器を入手していましたが、その中のひとつに「バッファロー」がありました。同国に引き渡された数はわずか44機。

 しかし、質量ともに勝るソ連機を相手に、約21対1という高いキルレシオ(撃墜比率)を叩き出します。これはつまり、フィンランド軍の「バッファロー」1機が撃墜されるまでに、ソ連機を約21機も撃墜していることを意味しています。これにより「バッファロー」パイロットからは、30人を超えるエースが誕生したとも伝えられます。

 このような訳で、日本軍パイロットからは「ビア樽」と嘲られたバッファローですが、フィンランドでは評価は一転し、「蒼空の真珠」(タイバーン・ヘルミ)というカッコいいあだ名で呼ばれました。とはいっても、やはり同国でも「ビア樽」(ビールケグ)のあだ名で呼ばれることも。評価は真逆ながら、外観で想起されるものは「南の戦場」でも「北の戦場」でも、どうやら同じだったようです。

 なおフィンランドでは、前述のように「バッファロー」の機数が限られ、部品などは貴重だったので、ソ連軍エリアに不時着した本機も、あきらめることなく陸軍部隊を敵陣の奥深くに突入させて回収してきたこともあったといいます。

 また、これほど高い評価を「バッファロー」に与えていたフィンランドは、何とか国産化できないかと、鹵獲(ろかく)したソ連製エンジンを搭載し、主翼などを木製化したコピー機ともいうべき機体まで開発しています。同機は「LVフム」と名付けられましたが、予定の性能が発揮できず、試作のみで終わりました。

 ここまで評価が真逆な戦闘機というのもそうそう存在しません。その点、このF2A「バッファロー」戦闘機は、ある意味、航空史に名を残す機体といえるのかもしれません。