かつて日本ではJAL、ANA、JASの3社がほとんどの国内線を飛ぶ時代が続いていました。そこに至るまでどのような経緯があったのでしょうか。そして、新規航空会社が一気に増えた現代、その3社体制からどう変わったのでしょう。

戦後航空解禁でJALがデビュー 相次ぐ航空会社の設立計画

 かつて日本の航空会社は片手で数えられるほどの社数しかありませんでしたが、2020年夏季時点で、国土交通省が国内に拠点を構える航空会社「本邦航空会社」と定義しているのは25社にも上ります(その後エアアジア・ジャパンは運航終了)。どのように増えていったのでしょうか。

 現在こそ運賃を払えば、ほとんど誰もが好きな航空会社や路線に乗ることができますが、第二次世界大戦中の民間航空会社は、国営の大日本航空1社しか存在しませんでした。戦後GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により、日本では民間航空も含め航空の活動が禁止されましたが、1950(昭和25)年に解禁され、日本に民間人向けの航空会社が誕生しました。これが現在の日本航空(JAL)です。

 日本航空は1951(昭和26)年に運航を開始しました。当初は、運航機材である2基のプロペラ・エンジンを搭載したマーチン2-0-2型機、そしてパイロットまで、アメリカのノースウエスト航空からレンタルする形でスタートしています。

 その翌年ごろから、日本航空以外の航空会社も、相次いで航空路線の開設を計画することになり、その社数は10社近くにもなりました。ただ、最終的には運輸省(現・国土交通省)の方針から、定期路線を運航する航空会社として、国際線、国内幹線を日本航空、ローカル線を東西に分けて2社とすることを決定します。

 東日本は日本ヘリコプター輸送、西日本は極東航空の2社が免許を得て、運航を開始しますが、フラッグキャリアのJALと異なり、ローカル路線を運航する2社は経営状況が悪化。運輸省の指導により日本ヘリコプター輸送に極東航空が合併する形態で、全日本空輸(ANA)が誕生しました。

 なお、この時、2社以外でも不定期ローカル路線というカテゴリーであれば、国内航空路線を運航できることができるとされ、東日本に日本国内航空(JDA)、西日本に東亜航空(TOA)などが就航しています。

 その後、運輸省は国内を7つのブロックに分け、それぞれの域内で1社に路線免許を発行することにしましたが、国内ローカル線の旅客数は増加し続け、翌年には域外への就航が可能となり、民間航空会社の「戦国時代」に入ります。

民間航空会社「戦国時代」→大手3社体制になるまで

 1960年代後半になると、運輸省では日本航空と日本国内航空、そして全日空と東亜航空の合併を図り経営を改善させようとしますが、うまくいかず、日本国内航空と東亜航空が合併して東亜国内航空(TDA、のちに日本エアシステムに社名変更、現JAL)が誕生します。

 東亜国内航空といえば、YS-11を早くから運航していたほか、国内線のジェット化においても、日本航空や全日空がボーイング社製の737を使用していたのに対して、ダグラス社製のダグラスDC-9、その派生型にあたるMD80系を使用するなど、一風変わった機材編成が特徴でした。

 その後運輸省は、国際線を日本航空、国内幹線を日本航空と全日空とする、いわゆる「45・47体制」を確立させ、ローカル線には東亜国内航空が就航しました。この頃から、エアライナーのジェット化が始まり、日本航空はダグラスDC-8、全日空はボーイング727、737などを数多く使用しました。ここからしばらくは、日本航空、全日空、東亜国内航空の3社体制が続きます。

 なお「45・47体制」の「45」は昭和の年号に由来します。1985(昭和60)年に同体制が撤廃されるまで継続しますが、その後も路線免許制の方針は、従来どおり変わりませんでした。

 その後、1986(昭和61)年の運輸政策審議会答申に沿って、1987(昭和62)年の日本航空の完全民営化、1997(平成9)年には国内線のダブル・トリプルトラック制(国内航空路線就航会社の2社化及び3社化)の廃止などを経て、この体制の大きな転機が訪れたのは2000(平成12)年、航空法の改正による規制緩和です。旅客の増加にともなって、路線は免許制から許可制となり、定期航空運送事業の許可を受けていれば路線や便数をある程度自由に設定できるようになりました。

規制緩和後はどうなった? 増える航空会社 でも開設までは大変

 このことで、規制緩和の直前に運航を開始していたスカイマークやAIRDO(旧社名は北海道国際航空)をはじめ、スターフライヤーやスカイネットアジア航空(現ソラシドエア)など、後進の航空会社が次々に誕生しました。2012(平成24)年からは、ピーチ・アビエーション、ジェットスター・ジャパン、エアアジア・ジャパン(初代)といったLCC(格安航空会社)が運航をスタート。関西空港の開港、中部空港の新設、羽田空港の発着枠増加、成田空港にLCC専用ターミナル設置などの理由により、2021年現在では、幹線航空路を新規航空会社が運航可能になっています。国内航空会社のバリエーションは、年を追うごとに広がりつつあったのが現状です。

 なお、アメリカでは航空規制緩和法、通称デ・レギュレイション法が1978(昭和53)年に可決され、民間航空の自由化への門戸が開かれましたが、2000年以降の日本でも同じ状況となりました。

 ちなみに、航空会社は、設立してからすぐに旅客便を運航できるわけではありません。まずシップ(機体)がなければ飛ばせませんので、どこかで調達する必要があります。旅客機メーカーから買うか、機体リース会社からレンタルする、中古機を購入する、既存の航空会社から運航経費込みで貸してもらうといった方法がありますが、いずれにしても、納入までに経費と時間がかかります。

 また、パイロットやCA(客室乗務員)はもちろん、整備士、地上係員などを雇用し、訓練しなければならず、経費、時間の両面でも、運航開始までに要するコストは莫大です。施設的にも、本社機能だけでなく、空港対応設備や、整備施設、訓練施設など様々な準備が必要となります。

 かつて大手3社ばかりだった羽田空港は現在、様々な国内航空会社が就航しており、我々の目を楽しませてくれます。ただ、その影には各社それぞれの、まさに血のにじむような努力があります。新型コロナウイルス感染拡大によって航空業界は苦境に立たされていますが、航空関係企業には、ぜひ「がんばれ」と強くエールを送ってあげたいものです。