ユナイテッド航空が発注したことで再度乗れる可能性が出てきた「超音速旅客機」。実はこの計画が打ち出されたのは50年以上も前からでした。かつての「コンコルド」実現に至るまでも、紆余曲折を経ています。

世に2モデルしか出ていない「SST」

 2021年6月、アメリカのスタートアップ企業「ブーム・テクノロジー」が開発中の超音速旅客機「オーバーチュア(Overture)」をユナイテッド航空が発注しました。ついに超音速旅客機が生まれ、それに乗れるかもしれない時代がまたやって来そうです。

 ただ、この超音速旅客機が世のなかを席巻したのは、これが初めてではありません。1960年代には、本当に将来、超音速旅客機が世界中を飛び回るのではないかと広く考えられていたのです。

 現在はほとんど使われることが無くなってしまいましたが、超音速旅客機はかつて「SUPER SONIC TRANSPORT」の略語「SST」と呼ばれていました。これまでに実用化されたSSTは2機種しかありません。かの有名なイギリス・フランス共同開発の「コンコルド(コンゴードとも)」、それと「コンコルド」に似すぎた設計から、「コンコルドスキー」と揶揄された旧ソ連・ツポレフ設計局のTu-144です。

 もっとも知られたSST「コンコルド」は1960年代前半から開発が始まりました。開発が進むにつれて、一時は各国のフラッグ・キャリアから100機以上の受注を得たのですが、最終的に20機の製造にとどまっています。使用した航空会社もブリティッシュ・エアウェイズ(当時は英国海外航空)とエールフランス航空の2社のみでした。

 SSTはヨーロッパの「コンコルド」があまりに有名ですが、実は、航空機の超音速飛行が実現したあと、アメリカでもSSTの開発計画は始まっていました。

「コンコルド」の開発とほぼ同時期の1960年代、「コンコルド」に刺激されたボーイング社、ロッキード社、ダグラス社でもSSTの開発計画が検討され、アメリカの国家的な支援のもと1960年代後半に「ボーイング2707」というSSTの計画を打ち出します。これは、130席クラスの「コンコルド」よりも一回り大型の230席クラスの機体を計画したとされたものの、騒音や環境問題から超音速旅客機への反対キャンペーンが起こったことで、最終的には途中で資金援助も打ち切られ、開発中止を余儀なくされました。

実は「コンコルド」よりツポレフのが早かった?

 一方、当時のソビエト連邦では1960年代前半から、超音速機、旅客機や大型軍用機などで豊富な経験を持つツポレフ設計局によるTu-144の計画が始まりました。この開発には、ソ連の威信がかかっていたこともあり、開発は他国より順調だったようで、「コンコルド」の初飛行(1969年3月)より数か月早い、1968(昭和43)年12月に初飛行を成功させています。

 Tu-144を導入した航空会社は、ソ連のナショナルフラッグキャリアであるアエロフロートのみ。ただ、ソ連の対抗心は半端ではなかったようで、同社では「コンコルド」よりひと月早い1975(昭和50)年12月にTu-144を貨物機として営業路線に投入します。その後Tu-144は1977(昭和52)年に旅客便を運航するのですが、1978(昭和53)年に、燃料漏れによる火災事故を起こしたことで運航を終了。旅客便に限定すると、その運航回数は100回程度と記録されており、屈指の短命旅客機となってしまったのです。

 なおTu-144は、デビュー前の1973(昭和48)年のパリのエアショーで墜落事故を起こしており、製造された16機のうち2機が失われています。その後1990年代にNASA(アメリカ航空宇宙局)が新世代のSST開発における基礎研究のためにTu-144LLという機体を使用しましたが、途中で費用的な面からキャンセルされてしまいました。

 Tu-144は先述の通り「コンコルドスキー」という不名誉な名称で呼ばれることもあるほど、機体の外形は「コンコルド」そっくりです。ただ、量産型ではコクピット両側に可動式の翼「カナード(先尾翼)」という旅客機としてはユニークな装置を装備することで離着陸性能を改善。エンジンも胴体側に配置するような違いも見られます。

 Tu-144が陥落後、唯一のSSTとなった「コンコルド」。ただ、経年化のなか2000(平成12)の航空事故、翌年の同時多発テロなどの影響もあり、2003(平成15)に運航終了となります。その後SSTは計画こそ出てくるものの、実際に実現した例はありません。

なぜダメだった「コンコルド」 機内はどんなの?

「コンコルド」が旅客機史上の主役になれなかった要因は、騒音の大きいことや、燃料消費量が多く航続距離が約7200km(東京〜オーストラリア・ブリスベンに相当)と、大西洋横断くらいの範囲に留まってしまうこと、最大離陸重量を抑えるために大型化できず、収益性が悪かったことなどでしょうか。21世紀に入り、機齢も古く、事故歴もあったにも関わらず、最後までフライトを続けようとしていたのは、この機にイギリス・フランスの威信がかかっていたのかもしれません。

 なお、「コンコルド」はこれまで何度か来日したことがあります。最初は、1972(昭和47)年に世界一周デモンストレ−ションの途中で飛来。これを含め計4回、羽田空港へやってきました。このほか、「長崎旅博覧会」におけるチャーター便として長崎空港へ、開港記念チャーター便で関西空港へ飛来。3空港に計6回というのが同機の来日記録です。

 実は、筆者(種山雅夫:元航空科学博物館展示部長 学芸員)は、関西空港開港日の次の日に、「コンコルド」の離着陸を展望ホール屋上から見ることができました。着陸する「コンコルド」は滑らかにスッと降りて来た一方で、離陸時はまさに「耳をつんざくような」フルパワーのエンジン音と空気の振動音に、非常にワクワクしたのを覚えています。

 また、実はかつてエールフランスの格納庫で機内を見学させていただいたことがあるのですが、客室が狭くて、なぜだか国産ターボプロップ機YS-11のように感じられたことと、コクピットにぎっしり配置された計器が印象的でした。

 一度でよいから、音速を超える瞬間を味わってみたいというのもありますし、新世代SST「オーバーチュア」のデビュー予定となる2029年には大いに期待したいものです。

※一部修正しました(6月17日10時18分)。