日本とも縁深いリヒャルト・フォークト博士は、左右非対称機など奇抜すぎる航空機開発で広く知られますが、 一方で「正統派」な業績の数々を残しており、現在の旅客機にもその成果を見ることができます。いわゆる天才のお話。

珍兵器開発で知られるフォークト博士 日本にも縁が

 リヒャルト・フォークト博士というと、ミリタリー趣味、そのなかでも特に珍兵器好きの人に知られた名前です。戦間期や第2次世界大戦中に「左右非対称機」という奇抜な形の航空機を企画したとして有名になりすぎた同氏ですが、実は日本の航空機産業の発展にひと役買うどころか、航空機そのものの発展に重要な役割を果たした人物なのです。

 フォークト博士は第1次世界大戦中、ドイツのツェッペリン飛行技術会社で働いていました。このとき、航空機会社ドルニエの創業者であるクラウディウス・ドルニエに出会い激励されたことで、第1次世界大戦後、本格的に航空機設計家としての道を志します。

 シュトゥットガルト大学を卒業後、1923(大正12)年からハインケル社で航空技師として短期間、働いた後、1924(大正13)年にはクラウディウス・ドルニエに推薦される形で、日本の川崎造船所飛行機部(後の川崎航空機)に技術協力のスタッフとして派遣され、八八式偵察機や九二式戦闘機の設計に携わります。

 1933(昭和8)年まで川崎航空機に派遣されていたフォークト博士ですが、そのときの弟子として最も有名なのは土井武夫技師でしょう。フォークト博士の補佐役として頭角を表すと、博士の推薦により1931(昭和6)年、ドイツに技術習得のために出張し、その後は三式戦闘機「飛燕」や、戦後の国産旅客機「YS-11」の開発に関わるなど、日本の航空技術発展の歴史に欠かせない人物となります。

 なお、現在ではその独自色の強さがネットなどではネタにされがちなカワサキですが、この当時の独自色は、陸軍機を専門に開発する会社であることや、空冷エンジンではなく液冷エンジン搭載機を中心に開発をしていたことくらいで、フォ―クト博士の設計も後の奇抜さはありませんでした。

ドイツ帰国後 新興航空機メーカーで一気に…

 1933(昭和8)年ドイツに帰国した後は、B&V(ブローム・ウント・フォス、「&」は当時の表記)社という造船会社に、新設された航空部門の筆頭技術者として入社します。ここからが、珍兵器開発者として知られるキャリアの始まりです。

 急降下爆撃機計画で、1935(昭和10)年にドイツ航空省の審査により正式採用されたユンカース社のJu 87の対抗馬となったHa 137や、1937(昭和12)年に初飛行し、大戦中も使用された飛行艇であるHa 138(BV 138)の設計を手掛けるなど、それまで「正統派路線」で新興飛行機メーカーの存在感を高めていたフォークト博士ですが、1937年7月に行われた直協偵察機コンペで、BV 141という奇妙な航空機を提案します。

 このBV 141、ドイツ航空省の性能要求である「視界をできるだけ広く確保できる単発偵察機」という項目に応えるために、コックピットを胴体から切り離し、これを翼に搭載した左右非対称の機体としました。エンジンの問題で不採用となりますが、奇妙な形のわりには操縦性や安定性に大きな問題はなかったといわれています。

 第2次世界大戦期間中も、コックピットを中央胴体終端部に配した3胴式の高速爆撃機P.170、 左右非対称に加えてレシプロ・ジェットの混合動力攻撃機であるP.194など、異形な航空機の設計案を出し続けますが、正式採用されることはありませんでした。ドイツ敗戦後はアメリカに移り航空機研究を続け、1959(昭和34)年からはボーイング社で技術顧問として航空機開発に関わるようになります。

「ウィングレット」の元祖もフォークト博士!

 ボーイング社では垂直離着陸機(VTOL)と水中翼船に関する設計なども行いますが、アメリカ時代のフォークト博士の研究で後の航空機産業に大きな貢献をしたのが、主翼端に取り付けられる小さな翼端板の研究です。

 実はフォークト博士は1949(昭和24)年の段階で、翼端を上に跳ね上げることで翼端の抵抗を低減し燃費を改善し航続距離をのばす特許を出願していました。「ウィングレット」と呼ばれるこの翼端板は、当時はそれほど重要視されていませんでしたが、大型旅客機が当たり前の時代になった1970(昭和45)年、NASAが燃費向上のために旅客機向けウィングレットの理論を確立し、1988(昭和63)年に初飛行したボーイング747-400はウィングレットを標準装備した機体として登場しました。

 フォークト博士は1979(昭和54)年1月に亡くなっているので、現在も続く旅客機でのウィングレットの流行については見ることがありませんでしたが、ボーイング747-400の元となったボーイング747は、ボーイング社を退職直前のフォークト博士が設計の出荷後評価をした機体でもあります。

 B&V社時代の影響で、変な機体ばかり作っていたと思われがちなフォークト博士ですが、実は日独米と3か国で航空機の発展に貢献したすごい人でもありました。