いくつもの道が集中する「多叉路」。都内には巨大な多叉路交差点が複数存在し、事故多発地点となっている箇所もあります。複雑な交差点は、どうやってできていったのでしょうか。

巨大6叉路に“きれいな”7叉路

 5本以上の道が集まる交差点を「多叉路」といい、東京にはいくつも存在します。今回は都内で複雑かつ特徴的な多叉路を、その成り立ちとともに紹介します。

池袋六ツ又交差点(豊島区)

 明治通りと川越街道、都道435号と4車線道路が3本交わり、さらに、かつて「池袋大踏切」に通じていた路地が接続する巨大な6叉路です。上空は川越街道の本線が立体交差、さらに首都高5号線が重なる2重高架となっており、交差点内にその橋脚などがあるため見通しが悪いとされ、都内有数の事故多発交差点となっています。

 もともとは、いわゆるラウンドアバウトの構造に似たロータリー交差点でしたが、交通量の多さから信号制御に変更。交差点の中央に立てられた管制塔から人が信号を操作していた時期もありました。その後、渋滞の根本原因となっていた周辺の山手線などと交差する大踏切を廃止したり、川越街道を立体交差化したりして現在に至ります。

富士町交差点(西東京市)

 東西に新青梅街道、そして斜めに都道の富士街道と、地元で関道と呼ばれる市道が交わり、さらに南側に交差点の真ん中から南に市道が1本接続する、地図上で見ると比較的キレイな7叉路です。ただ事故は多発しており、警視庁が田無警察署管内の重点取締地点に挙げています。

 もともとは富士街道と関道が×字に交わっており、そのど真ん中を左右に貫く形で昭和の戦後に新青梅街道が開通。南側に接続する市道も同時期の開通です。

8叉路に「もと9叉路?」も

 いまは「七」だけど交差点名に「八」がつき、もともとは「九」――ちょっとややこしい交差点もあります。

八坂交差点(東村山市)

 西武多摩湖線の八坂駅前にある交差点で、地図で見ると、南北に貫く府中街道に江戸街道が東西から、野火止用水沿いの野火止通りが斜めに、さらに市道が1本斜めに交わる7叉路になっています。

 ただ、かつてはもっと複雑な場所だったようです。古い地図を見ると、この交差点は「九道の辻」と書かれており、現在もその名を冠した公園があるほか、由来が書かれた看板も交差点に立っています。

 それによると、「江戸道、引股道、宮寺道、秩父道、御窪道、清戸道、奥州街道、大山街道、鎌倉街道の九本の道がこの地に分岐していた」とのこと。昔からの多叉路であったことがわかります。

宮地交差点(荒川区)

 池袋六ツ又と同じく明治通り沿いの交差点。東西方向の明治通りに対し「く」の字に交わる尾竹橋通り、そのほか4本の路地が集まる8叉路で、明治通りの本線は立体交差しています。

 ここもかつては、これらの道路が交差点の「中央島」に向かって接続するロータリーの構造でした。いまでも「宮地のロータリー」と呼ぶ人もいるそうです。

 明治通りには池袋六ツ又や、ここ宮地のほか、すぐ東側のサンパール荒川前など、ロータリー交差点がいくつもありました。交通量の多い都内ではロータリー構造が渋滞の原因となり、いずれも信号交差点に変わっています。

極めつけはここだ!!

「10」越え多叉路、あります。

菅原橋交差点(江戸川区)

 最後は新小岩駅の南東にある菅原橋交差点。南西から北東方向に千葉街道(国道14号)、北西から南東方向に鹿骨(ししぼね)街道が交わり、その合間を縫うように大小7本もの道が交差点に合流しています。

 いずれもさほど大きな道ではなく、クルマ通りを考慮すれば実質5叉路とも言われますが、細い道も合わせれば、なんと11叉路です。

 もともとあった街道は千葉街道だけで、交差点付近で2本の用水路が交差していました。やがて鹿骨街道が整備されたほか、街区をつくるときにできた小道も接続し、用水路の大部分も埋め立てられ、現在の姿が形作られました。

 地元の警察に聞いたところ、都内でも複雑な交差点と認識されているそうですが、意外にも事故は少ないのだそうです。

※ ※ ※

 今回は幹線道路沿いの比較的大きなポイントを紹介しました。最後の菅原橋交差点のように、多叉路にも関わらず事故が少ない場所もあり、大田区の住宅街にある有名な7叉路、その名も「七辻」交差点は、信号機すらありません。

 七辻交差点には「日本一 ゆずり合いモデル交差点」「この地に事故はない」と書かれた看板が立てられています。あまりに複雑な交差点だと、逆に通過するとき注意を払うため事故がおきにくい、という場所もあるようです。