旧日本海軍の空母「蒼龍」が1935年の今日、進水しました。軍縮条約の狭間で、建造には何度も計画変更が加えられます。真珠湾攻撃に参加したことでも知られる空母は、勝敗の分岐点ともいわれるミッドウェー海戦で撃沈されました。

ロンドン海軍軍縮条約の影響で船体は小ぶりに

 1935(昭和10)年の12月23日は、旧日本海軍の航空母艦「蒼龍」が進水した日です。「蒼龍」は太平洋戦争開戦のきっかけとなった真珠湾攻撃に参加した空母としても知られます。

「蒼龍」はしばしば姉妹艦「飛龍」と比較されますが、「飛龍」よりも小ぶり。これは1930(昭和5)年に締結したロンドン海軍軍縮条約により、空母建造にかかる制限枠内で計画されたからでした。

 ただ、最初に海軍が要求したスペックは、基準排水量1万50トンという艦体に艦載機100機という無茶なもの。その後計画は変更され、艦載機は70機に落ち着きます。二段式格納庫の採用により、格納庫面積は5229.8平方メートルを確保しました。最終的には基準排水量1万5900トン、全長227.5m、速力34.8ノット(約62km/h)で竣工。1938(昭和13)年に第二航空戦隊に所属します。

 1941(昭和16)年12月8日未明(日本時間、以下同様)、空母「加賀」「赤城」「飛龍」「瑞鶴」「翔鶴」とともに、ハワイ真珠湾へ向け「蒼龍」も攻撃隊を発進。アメリカ太平洋艦隊に甚大な損害を与えます。翌1942(昭和17)年からは南方方面への作戦に参加。2月のオーストラリア・ダーウィン空襲、3月のセイロン沖海戦などで戦果を挙げました。

隙をつかれた飛行甲板

 同年6月、太平洋戦争における勝敗の分岐点ともいわれるミッドウェー海戦に参加。5日未明、ミッドウェー島を空襲した攻撃隊から「第二次攻撃の要を認む」の一報を受けると、艦載機部隊は兵装を、艦船攻撃用の魚雷から陸上攻撃用の爆弾へ転換し始めます。ところが早朝、哨戒機から「敵空母らしきものを見ゆ」を受電すると、再度、艦載機は艦船攻撃用の魚雷を装備するよう下令されます。「蒼龍」の飛行甲板には、爆弾や魚雷が無造作に並んでいました。

 攻撃隊の発進が遅れた午前7時20分ごろ、その隙をつくようにアメリカ軍の急降下爆撃機が襲来。爆弾が命中したうえ甲板上の兵器や機体に誘爆し、「蒼龍」は瞬く間に大火災に見舞われます。付近を航行中の「加賀」「赤城」も同じ運命でした。

 消火活動もままならず、およそ9時間後に「蒼龍」は沈没。なお、駆逐艦「磯風」の魚雷によって処分されたという説もあります。先述の「加賀」「赤城」に加え「飛龍」と計4隻の空母を失った日本は大敗北を喫し、以降、徐々に制海権をアメリカ側に握られていくのでした。

 なお当時、ミッドウェー海戦の敗北と主力空母の喪失は、国民には知らされませんでした。