第2次大戦のイタリア戦闘機には、星形の空冷エンジンを後日ドイツ製液冷エンジンに換装し、性能アップを図った機体がいくつかありました。一方で、空冷にこだわってデビューが遅れ戦闘爆撃機になった機種も。ただレアな存在でした。

一斉に始まった新型戦闘機の開発

 第2次世界大戦前の1935(昭和10)年、東アフリカのエチオピアに侵攻を始めたイタリア。しかし、投入された戦闘機は木製フレームに羽布張りの複葉機ばかりで、世界の航空情勢からすると遅れていました。そこでイタリア空軍は、国内の各航空機メーカーに全金属製で低翼単葉、引き込み脚を装備した新型戦闘機の開発協力を要請します。

 この増強プランは「R計画」と呼ばれ、それに応えたアエロマッキ社はMC.200戦闘機を、フィアット社はG.50戦闘機を開発。両機ともに採用となり、後者G.50については1938(昭和13)年よりスペイン市民戦争(スペイン内戦)でテストを兼ねて実戦投入されました。

 こうして次々と新型の高性能戦闘機が生まれるイタリアにおいて、レッジアーネ社が開発したのが、Re.2000戦闘機です。イタリア語で「鷹」を意味する「ファルコ」の愛称が付けられた同機は、前出のMC.200やG.50よりも誕生は1年以上遅れたものの、他社と同様に出力1000馬力のピアッジオ製RC40型空冷エンジンを搭載し、最高速度530km/h、航続距離1400kmを記録するなど、高性能ぶりを見せつけます。

 ただ、引き込み式の主脚は、いったん90度回転し後ろ向きに収納されるなど明らかに凝った造りで、MC.200などと比べて複雑な機体構造やエンジンの信頼性不足に加え、主翼内部の燃料タンクには防弾装置がないといった設計が災いし、制式採用されることはありませんでした。

 しかし同戦闘機の高性能は国外で評価され、スウェーデン空軍は60機購入して「J20戦闘機」という名称で第2次世界大戦の期間中、防空用として使用。ハンガリー空軍も70機輸入した後、さらにエンジンを積み替えて192機をライセンス生産しています。

エンジン選定で翻弄され、さらに後回しに

 自国のイタリア空軍に採用されなかったRe.2000「ファルコ」ですが、開発元のレッジアーネ社は見切りをつけることなく地道な改良を続けます。

 同機に搭載されたピアッジオ製空冷エンジンの性能不足を補うため、1940(昭和15)年にはドイツのダイムラー・ベンツ製DB601液冷エンジン(1175馬力)を搭載した改良型Re.2001を開発、7月には初飛行に成功しました。しかし、今度はドイツ製の液冷エンジンが技術的な問題から、フィアットやアルファロメオでライセンス生産が予定通り進まず、その影響を受けてイタリア空軍へのRe.2001導入計画は中断してしまいます。

 そこでロンギ技師は、新たに開発されたピアッジオ製P.XIX RC45型空冷エンジン(1175馬力)を搭載した機体を設計します。エンジンの小型化によりカウリングは先端に向けて大きく絞った形状に変更され、空力的にも洗練されたデザインとなりました。この試作機は、Re2001より3か月遅れた1940(昭和15)年10月に初飛行を行い、Re.2000譲りの優れた運動性能と大きな航続距離を示しました。

 こうしてレッジアーネ社が開発した戦闘機は、ピアッジオ製新型エンジンを搭載したことで、ようやくRe2002として自国イタリア空軍に正式採用されます。

 イタリア語で牡羊座を意味する「アリエテ」の名称が付けられたRe.2002は、当初成功したかのように思われましたが、のちに燃料系統を含む多くのトラブルが見つかり、またもやピアッジオ製エンジンの信頼性不足が露呈したのです。こうしたエンジン開発のトラブルは大戦中のイタリア軍機にしばしば見られましたが、御多分に漏れずRe.2002も該当し、結局、生産計画はさらに遅れてしまいました。

戦闘爆撃機としての運用と活躍

 こうしてRe.2002「アリエテ」は実用化が遅れたため、配備が始まったころには戦闘機としてやや役不足になっていました。最高速度も530km/h程度しか出ず、性能的に見劣りがしました。

 そこで堅牢な機体構造に注目したイタリア空軍は、Re2002の役割を戦闘機から戦闘爆撃機に変更、機体を爆撃用に改修します。Re.2002は見事その期待に応え、胴体下面と左右翼面下に最大650kgの爆装が可能なようになり、機首にはブレダ12.7mm機関銃2挺、左右主翼内にはブレダ7.7mm機関銃各1挺を装備しました。

 こうして活路を見出されたRe.2002は、1942(昭和17)年7月から生産が始まり、翌年9月のイタリア休戦までに150機が空軍の急降下爆撃隊へ引き渡されています。その一部は、ドイツのJu87急降下爆撃機によるスキップ爆撃で戦果を挙げたジュゼッペ・チェンニ司令率いる第102急降下爆撃航空群に配備され、シチリア島や、その対岸にあたるカラブリア(いわゆるイタリアの爪先)に上陸した連合軍へ対地攻撃を行い、輸送船1隻や上陸用舟艇4隻を撃沈する戦果を挙げました。

 また休戦後まで生き残った機体の一部は、後に連合国側となった南王国空軍の第5航空団所属となり、バルカン半島での対ドイツ軍対地攻撃に投入されて終戦まで戦っています。また休戦後に組み立てられた別の40機はドイツ空軍に配備されて、一部がフランスのレジスタンス地区への地上攻撃に使用されました。

 液冷エンジンの導入が失敗に終わったRe.2000シリーズでしたが、のちに新型のダイムラー・ベンツ製DB605液冷エンジン(1475馬力)を、フィアット社がライセンス生産に成功したことで、これを搭載した改良型が1942(昭和17)年に誕生しています。Re.2005「サッジタリオ」(射手座の意)と呼ばれた新戦闘機は最高速度628km/hの性能を示し、その活躍が大いに期待されたものの、連合軍の工場爆撃により生産数はごくわずかで終わり、戦争の趨勢に影響を与えることなく姿を消していきました。