旧日本海軍の駆逐艦「雪風」が1940年の今日、竣工しました。太平洋戦争の初戦から戦艦「大和」の水上特攻に至るまで、数々の激戦に参加するも大きな損傷は受けず、「不沈艦」「強運艦」などの異名も持ちます。

陽炎型・夕雲型駆逐艦のなかで唯一の生き残り

 1940(昭和15)年の1月20日は、旧日本海軍の駆逐艦「雪風」が竣工した日です。「雪風」は太平洋戦争において数々の戦いに参加するも大きな損傷を受けず、40隻ほどあった陽炎型・夕雲型駆逐艦のなかで唯一生き残った艦であるのに加え、終戦時にも作戦行動が可能な状態であったことから「不沈艦」「強運艦」などと呼ばれます。

「雪風」は陽炎型の8番艦として長崎県の佐世保海軍工廠で建造されます。全長118mあまり、基準排水量2000トンあまり、最大速力は35.5ノット(約64km/h)で、12.7cm連装砲や四連装魚雷発射管などを備えていました。

 以下に「雪風」が参加した主な作戦(戦闘)を列挙します。

・1941(昭和16)年12月:フィリピン中部のレガスピー攻略(初陣)
・1942(昭和17)年2月:スラバヤ沖海戦
・同6月:ミッドウェー海戦
・同10月:南太平洋海戦
・同11月:第三次ソロモン海戦
・1943(昭和18)年2月:ガダルカナル島の撤収作戦
・1944(昭和19)年6月:マリアナ沖海戦
・同10月:レイテ沖海戦
・同11月:空母「信濃」の護衛
・1945(昭和20)年4月:戦艦「大和」水上特攻の護衛

 これらの戦闘では、僚艦のみならず大型の航空母艦や戦艦がいくつも撃沈されています。そのようななかにあって、直ちに戦闘態勢へ入る初動の早さ、撤収時の人命救助における“奮闘”ぶりなども評価されています。

戦争賠償艦として中華民国へ

「雪風」の装備の変遷を見るだけでも、戦いの様相が戦争の進展とともに変化したことがわかります。たとえば、竣工時に艦対艦の戦闘を想定して設置された主砲は、1943(昭和18)年に後部のものが撤去され、替わりに対空機銃が増設されました。ほかにも、当時最新だったレーダー(電探)が導入されています。

 1945(昭和20)年8月、太平洋戦争が終わると「雪風」は、復員兵の輸送船に姿を変えました。日本人を本土に戻すためにパプアニューギニアのラバウルや満州(中国東北部)などへ赴き、計1万人あまりを帰還させています。その間には、台風で遭難した車両渡船「第六青函丸」を曳航、救助したこともありました。

 こうして戦後も働き続けた「雪風」でしたが、1947(昭和22)年7月に、戦争賠償艦として当時の中華民国に引き渡されます。中国軍艦として艦名を「丹陽(タンヤン)」に改めたのち、中華人民共和国と中華民国との国共内戦でも用いられ、1958(昭和33)年8月には中国共産党の軍艦とも交戦しています。

「雪風」は1965(昭和40)年12月16日に退役。そののち解体され、1971(昭和46)年12月8日に舵輪と錨が日本に返還されました。これらは広島県江田島の海上自衛隊第1術科学校に展示されています。なおスクリューも、台湾の左営にある中華民国海軍軍官学校に展示されているそうです。