1915年の今日は、旧日本海軍の戦艦「榛名」と「霧島」が竣工した日です。金剛型の姉妹艦であり、2度にわたる改修を受け太平洋戦争を迎えると、2隻とも主要な作戦に投入されました。運命を分けたのは、ガダルカナル島の攻略時でした。

計画当初は巡洋戦艦

 1915(大正4)年の4月19日は、旧日本海軍の戦艦「榛名」と「霧島」が竣工した日です。それぞれ金剛型戦艦の3、4番艦ですが、当初は巡洋戦艦として計画されました。そのため戦艦でありながら、艦名は旧国名ではなく山岳名となっています。

「榛名」「霧島」とも、初めて国内の民間造船所で建造された戦艦であり、それぞれ現在の川崎重工と三菱重工が担当しました。竣工時の排水量は約2万7000トンあまり、水線長は212m、速力は27.5ノットあまり(約49.5km/h)。複雑な形をした艦橋はまだなく、3本の煙突と2本のマストが立ち並んでいました。

 なお、2隻が竣工したときは第1次世界大戦の真っただ中で、ヨーロッパを主戦場に激戦が繰り広げられていました。デンマークのユトランド半島沖でイギリス海軍とドイツ海軍が死闘を繰り広げた、いわゆるユトランド沖海戦によって近代的な艦隊戦の戦訓が得られると、日本もその後の軍艦建造にその戦訓を反映させます。「榛名」「霧島」も例外ではなく、大規模な近代化改修が施されました。

「榛名」は1928(昭和3)年7月に、「霧島」は1930(昭和5)年3月に、それぞれ改修が完了。主砲の仰角向上、魚雷に対する水中防御力の強化などが施されました。ただし、改修により排水量が増加したことで、速力は25ノットほど(約46.3km/h)に低下しています。

 両艦はお召艦としても使われました。「榛名」は1928(昭和3)年、昭和天皇の即位を記念した観艦式に参加したほか、「霧島」にも1930(昭和5)年、特別大演習観艦式において昭和天皇が乗艦されています。1931(昭和6)年6月、両艦は正式に戦艦となります。

 その後、1930年代半ばになると、「榛名」「霧島」とも2回目の近代化改修を実施。主機関の出力向上が図られ、速力は竣工時を上回る30ノット近く(約54.0km/h)となりました。また対空兵装も強化されています。

「霧島」は南方の海に…

 両艦が本格的な戦闘に参加するのは太平洋戦争からです。出撃は開戦と同時であり、「榛名」がフィリピンへの攻略作戦に、「霧島」は真珠湾へ向かう空母機動部隊の護衛に、それぞれ出向きました。「榛名」は翌1942(昭和17)年2月に、クリスマス島への艦砲射撃を行います。

 1942(昭和17)年6月のミッドウェー海戦では、両艦とも空母部隊の掩護などに就きました。しかしこの海戦では、空母のみならず「榛名」もアメリカ軍の空襲を受けています。同年10月には、ガダルカナル島攻略に参戦。「榛名」はアメリカ軍飛行場へ艦砲射撃を行い、一時的に損害を与えています。

 一方の「霧島」も飛行場への射撃を企図していました。11月14日深夜、サボ島の西に差し掛かったところでアメリカ軍の迎撃にあいます。戦艦や巡洋艦同士の撃ち合いとなり、「霧島」は奮戦するも直撃弾を多数受け沈没。しかしアメリカ側も損害を受け、後日撤退しています。

 ガダルカナル島攻略作戦から帰還した「榛名」はその後、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦と歴戦を重ねますが、1945(昭和20)年に入ると燃料の欠乏から、日本本土の港に留め置かれることが多くなりました。

 しかし終戦まで1か月を切った1945年7月末、アメリカ軍による呉空襲で格好の標的となります。対空砲火で激しく応戦するも、20発以上の命中弾を受けて着底しました。

 ただし海没は免れたため、戦後「榛名」は引き上げられ解体されています。