1942年6月に行われた日米の艦隊戦「ミッドウェー海戦」。艦船数こそ日本側が圧倒していたものの、索敵の不備などから日本側が大敗しました。「こうすれば勝てた」と言われることの多い海戦ですが、勝利の道筋はあったのか見てみます。

どうやっても「引き分け」止まりのミッドウェー海戦

 2022年6月は、太平洋戦争において日米の空母部隊が激突したミッドウェー海戦が起きてからちょうど80年の節目の年です。1942(昭和17)年6月5日から7日にかけて中部太平洋のミッドウェー島周辺海域で繰り広げられた死闘は、太平洋戦争のターニングポイントになったといわれることもあります。

 戦後、ミッドウェー海戦は旧日本海軍の慢心と情報軽視によって負けるべくして負けた戦いだと批判されることが多いです。一般には、「日本軍は索敵を軽視し、アメリカ海軍空母の発見が遅れた。ゆえに艦載機の装備を、爆弾から魚雷に兵装転換するなどで混乱が生じ、攻撃隊を発進させる前にアメリカ空母艦載機からの爆撃を受けた。その結果、日本空母4隻が沈んだ一方、アメリカの損害は空母3隻中1隻のみ」といわれています。しかし、この定説は妥当なのでしょうか。筆者(安藤昌季:乗りものライター)が各種情報から推察してみます。

 ミッドウェー海戦を語った論説のなかで、よく知られるのは「運命の5分間」論ではないでしょうか。これは日本空母艦隊(南雲艦隊)から攻撃隊が発進しようとした時に、アメリカ急降下爆撃機の攻撃を受け、艦載機が誘爆して致命傷になったというもの。すなわち「あと5分あれば、結果は異なったかも」というものです。

 ただ、これに関しては、現代では第一航空艦隊の戦闘詳報に「攻撃隊の発進準備ができていなかった」と書かれていることや、当時アメリカ側が撮影していた航空写真などの解析から、日本空母の飛行甲板上に艦載機がなかったことで否定されています。

 これらについて筆者が思うところですが、南雲艦隊の敗北は、よく言われる「索敵の不備」とか「兵装転換の判断ミス」で生じたものではないというものです。

筑摩1号機が仮に米艦隊見つけても意味ない理由

「ミッドウェー海戦の敗戦は、タイムスケジュールで決まった」と筆者は考えます。なぜなら、日本側の索敵が仮に成功していたとしても、状況証拠を積み上げると勝てないと考えられるからです

 では、索敵を重視したら勝てたのでしょうか。アメリカ艦隊の近くを通りつつ、雲の上を飛んで見逃したといわれるのは、重巡洋艦「筑摩」から発艦した水上偵察機「筑摩1号機」です。ただ、同機がアメリカ空母「エンタープライズ」と同「ホーネット」を中心とした第16任務部隊を発見できても、それは6月4日午前3時20分(以下日本時間。日本時間は東京時間なので、それを当てはめると日の出は午前2時、日没は16時)前後です。

 イフとして「索敵機を多数出せば」を実行しても、大きなロスもなく敵艦隊上空に到達した「筑摩1号機」と敵発見時刻は変わらないでしょうから、午前3時20分前後が、日本側にとって最短の発見可能時間になります。

 南雲艦隊がアメリカ艦隊に勝利するには、同日午前1時30分からミッドウェー島のアメリカ軍基地に向けて日本空母から発進した第1次攻撃隊が、基地ではなく艦隊に向かう必要がありますが、午前3時20分にアメリカ艦隊を史実より早期発見できても、肝心の第1次攻撃隊はミッドウェー島基地への空襲中です。

 なお、午前3時20分に「筑摩1号機」より得た通信を暗号解読し、格納庫内の艦載機を飛行甲板に整列・発進させるには最低40分程度かかります。したがって、南雲艦隊からの攻撃隊発進は最短で午前4時過ぎです。ただ、これも午前4時5分から基地航空隊の空襲が始まるので、攻撃隊が発進できるかわかりません。

 一方、アメリカ側は、同日午前2時15分に、カタリナ飛行艇が「利根4号機」を発見して、近くに南雲艦隊がいることを察知。それから15分後の午前2時30分に南雲艦隊は発見されています。史実の敵艦隊発見時刻は午前4時28分ですが、これを「筑摩1号機が見つけていたら」で午前3時20分に繰り上げても、先制発見されることは変わらないのです。

「引き分け」では戦略的敗北が決定

 アメリカ艦隊は、南雲艦隊発見を受け、同日午前4時には攻撃隊を発進させ、日本空母に致命傷を与えました。このアメリカ側の攻撃隊発進は、索敵を重視しても時間を喰ったといわれる兵装転換命令がなかったとしても防げません。索敵が成功しても、史実のイフでよく言われるような爆弾装備のまま急いで航空隊を出したとしても、日本空母3隻は被弾し、戦闘不能となったのは間違いないと言えるでしょう。

 なお、アメリカ空母は2群に分かれているので、日本の攻撃隊が敵艦隊に到達しても、攻撃できるのは第16任務部隊の2隻のみ。結果、生き残った空母「飛龍」と「ヨークタウン」の対決となり、どちらが勝っても、日米空母艦隊は双方とも壊滅、「索敵が成功しても引き分け」で終わったと考えられます。なお、仮にそうなったとしてもアメリカと日本ではそもそもの国力が違うので、引き分けでは大局的には敗北といえるでしょう。

 こうなるのは、そもそも論として「ミッドウェー基地が南雲艦隊に空襲されてから、アメリカ艦隊がハワイ・真珠湾を出撃するので各個撃破可能」という誤った前提に立って作戦計画を立案したからです。要は、海戦当日の索敵結果や、指揮官の判断を変更したくらいでは、南雲艦隊はアメリカ艦隊には勝てないと考えられるのです。

 では、日本はどうやってもミッドウェー海戦は勝てなかったのでしょうか。筆者は、時計の針を戻してさらにさかのぼれば「勝てた」と考えます。

ミッドウェー海戦で勝つには

 日本側の「ミッドウェー基地を空襲しない限り、敵艦隊は出てこない」前提を崩す情報は3つありました。しかし、旧日本海軍はどれも見逃していたのです。それは海戦当日ではありません。

 史実では、5月30日にミッドウェー島攻略部隊を乗せた日本輸送船団の至近に張り付いていたアメリカ潜水艦が、ミッドウェー基地に緊急電を送信しています。この信号を日本側も傍受していたのですが、なぜか無視しています。

 加えて6月3日午後には、南雲艦隊から離れた戦艦「大和」に乗る連合艦隊司令部の敵信班が「ミッドウェー島付近で敵空母らしい呼び出し符号を傍受」したのにもかかわらず、これまた無視しています。

 また、空母を含む旧日本海軍の角田艦隊は、6月3日23時よりアラスカ州アリューシャン列島にある港町ダッチハーバーを空襲しています。これも「真珠湾から迎撃のために空母部隊を出撃させる」可能性がある攻撃ですが、何も対策していません。

 そのうえで6月4日午前6時に、ミッドウェー島の攻略船団は、アメリカ海軍の「カタリナ」飛行艇に発見され、同日13時よりB-17大型爆撃機による空襲を受けています。船団が発見されたのは南雲艦隊が第1次攻撃隊を出す5日午前1時30分の19時間半も前のことですから、南雲艦隊としては、日本艦隊がミッドウェー島に迫ったのを、アメリカ側に察知されたと考えるべきだったのですが、何もしていません。

戦力を分散させず集中して使うべし

 もし「ミッドウェーへは奇襲不能。敵空母は待ち伏せしている」と事前に考えて行動したなら、対策は可能です。4つの艦隊に分散している空母を集結させ、攻撃目標を敵空母に絞ればいいのです。

 この場合、日本空母は8隻。偵察機を多数搭載した水上機母艦「千歳」「千代田」や戦艦、巡洋艦もいるので、それだけ多数の索敵機を飛ばせます。

 飛行甲板が爆撃されても、無事な空母で戦闘を継続できるので、空母数8対3は圧倒的有利です。「龍驤」「隼鷹」「瑞鳳」「鳳翔」が加わると、零式艦上戦闘機22機、九六式艦上戦闘機17機、九九式艦上爆撃機26機、九七式艦上攻撃機15機、九六式艦上攻撃機8機の計88機が増加します。なかには旧式機もありますが、防空や索敵で活用できます。

 これら空母を集結させ、ミッドウェー島を迂回してアメリカ空母を索敵し、これを撃沈した後で、ミッドウェー攻略に入れば勝てると考えます。

 まとめると、「ミッドウェー基地に警報が出されたことを、海戦5日前に把握」「海戦2日前にミッドウェー付近で敵空母が活動していることを把握」「その日に自軍空母がダッチハーバーを攻撃しており、真珠湾の敵艦隊は迎撃のため、出撃した可能性がある」うえに「海戦1日前に攻略船団が空襲を受けているので、ミッドウェー島への攻略意図は露呈し、奇襲は不可能」と判断できるのに「ミッドウェー島へは奇襲可能で、南雲艦隊の空襲を受けてから、真珠湾の敵艦隊は出撃してくる」として、対策を取らなかったのが敗因だと筆者は思うのです。