112年前の6月12日、岡山と高松をむすぶ鉄道連絡船「宇高連絡船」が開通しました。

かつての大動脈の旅情

 今から112年前の1910(明治43)年6月12日。岡山駅と宇野駅をむすぶJR宇野線(当時は国鉄)および宇野港と高松港をむすぶ鉄道連絡船「宇高連絡船」がそれぞれ開通しました。

 それまで、本州と四国のあいだの主要な連絡船は、岡山港〜高松港および尾道港〜多度津港でした。いずれも鉄道のターミナル駅同士を直結し、まるでドアツードアのように本州〜四国をつなぐ役目を持っていました。

 重要航路であることから国は国有化に乗り出し、最短距離で本四を結ぶため宇野港を拠点とし、岡山から宇野までのアクセス路線を建設することを決定。その路線が宇野線です。

 関西〜四国間の大動脈の一部であった宇野線には、新大阪・大阪からは急行「鷲羽」、東京から急行「さぬき」「瀬戸」など、優等列車が多数運行されていました。時刻表上では、予讃本線と同じページの同じ列に客船の時刻が書かれ、特急や急行への接続を前提とした一体的なダイヤが組まれていました。まさに「鉄道連絡船」だったわけです。

 また、宇高連絡船は貨物列車を線路から直接積み込み、対岸の線路へ運んでいました。青函連絡船や関門連絡船でも見られたこの風景は、鉄道隆盛時代を象徴するものでした。

 さて、1988(昭和63)年に瀬戸大橋が開通。本州と四国は道路・鉄道ともに陸路で直結されました。宇野線は茶屋町駅から分岐する「瀬戸大橋線の支線」という存在になり、宇高連絡船は四国フェリーにより長らく存続していましたが、2019年に廃止されています。

 ちなみに国鉄による本州〜四国の鉄道連絡船はもうひとつありました。呉線の仁方駅(広島県呉市)と予讃線の堀江駅(愛媛県松山市)をむすぶ「仁堀連絡船」です。こちらは戦後すぐの1946(昭和21)年に開通し、1982(昭和57)年、利用客数の低迷により、尾道・今治ルート(しまなみ海道)の開通を待たずに廃止となっています。