旧日本海軍の駆逐艦「磯風」が1939年の今日、進水しました。真珠湾攻撃から水上特攻まで多くの海戦に参加し、そのたびに戦艦「武蔵」や空母「大鳳」など主力かつ大型艦の最期に立ち会ってきました。

出撃は太平洋戦争開戦と同時

 1939(昭和14)年の6月19日は、旧日本海軍の駆逐艦「磯風」(2代)が進水した日です。陽炎型駆逐艦の12番艦として建造され、12.7cm連装主砲3基、25mm連装機銃2基、4連装魚雷発射管2基などを備えました。特に魚雷は気泡をほとんど発せず、雷跡を消せる酸素魚雷を当初から装備。竣工は翌1940(昭和15)年11月末のことです。

 初陣は太平洋戦争開戦のきっかけとなった1941(昭和16)年12月の真珠湾攻撃でした。この時「磯風」は空母群の護衛に従事しています。年が明けた1942(昭和17)年には南方へ進出し、ジャワ島攻略やセイロン沖海戦などに参加しています。

 そして同年6月、太平洋戦争における勝敗の分かれ目となったミッドウェー海戦に、僚艦4隻とともに第十七駆逐隊を編成し参加。5日にはアメリカ軍艦載機による空襲で損害を被るも、撃沈された空母「蒼龍」の乗員を救助しています。なおこの海戦で日本は主力空母を4隻失い、大敗を喫しました。

 以降、アメリカ軍が徐々に制海権を握り始めます。日本軍が飛行場を建設しようとしたガダルカナル島に連合軍が上陸すると、島を巡り、周辺を含めた陸海空で激しい戦闘が繰り広げられました。「磯風」は物資運搬を主任務としつつ輸送艇なども護衛し、たびたび連合軍と交戦しました。

 しかし戦局は連合軍が優勢であり、また艦艇に限っても多くが撃沈されていきます。「磯風」は沈没艦の乗員救助にもあたり、ラバウルやトラックなど南方の拠点を転々としました。翌1943(昭和18)年1月、ガダルカナル島からの撤退が決まると、「磯風」は3回にわたったその撤収作戦全てに従事。ただ作戦中も連合軍の攻撃をたびたび受け、損傷しては修理を繰り返しています。

大型艦の沈没に立ち会う「磯風」

 1944(昭和19)年6月にはマリアナ沖海戦に参加。大型空母「大鳳」の護衛任務に就きます。しかし、アメリカ軍潜水艦が放った魚雷のうち1発が「大鳳」に命中、同艦は大爆発を起こして沈没してしまいます。「磯風」は「大鳳」の乗員を救助したのち、空母「瑞鶴」の護衛にあたります。ただ、この海戦で日本は空母3隻などのほか航空機も400機以上を喪失し、大敗北に終わりました。

 追いつめられるなか日本は総力を挙げて、フィリピンを攻略しようとレイテ島に上陸したアメリカ軍を迎え撃ちます。同年10月、「磯風」は史上最大の海戦とも称されるレイテ沖海戦に参加。「金剛」「榛名」などの戦艦部隊を護衛します。24日、レイテ島の北東に位置するシブヤン海にて、戦艦「武蔵」がアメリカ軍の猛攻にあい撃沈されると、「磯風」はここでも同艦の救助にあたります。なお直前、水雷長が沈没間際の「武蔵」を撮影しています。レイテ沖海戦でも日本は多くの艦艇や人員を喪失し、敗北を喫しました。

 11月、「磯風」は巡洋艦や駆逐艦などとともに本土へ帰還します。しかしその途上、「金剛」がアメリカ軍潜水艦の雷撃にあい沈没。乗員を救助し、約20日後、横須賀港へ到着しました。直後に「磯風」は同港から呉まで、竣工したばかりの大型空母「信濃」の回航を護衛します。しかし「信濃」はアメリカ軍潜水艦の雷撃により、竣工からわずか10日で沈没。「磯風」はここでも大型艦の最期を看取り、乗員を救助しています。

戦艦「大和」とともに沖縄へ…

 数々の激戦を生き抜いてきた「磯風」でしたが、1945(昭和20)年4月、水上特攻を下令されます。沖縄に上陸したアメリカ軍に対し、座礁させ砲台化した艦から砲撃を加えるという作戦でした。これには戦艦「大和」も含まれていました。

 5日、「磯風」「大和」ほか軽巡洋艦「矢矧」と駆逐艦から成る艦隊は沖縄へ向けて出撃。しかし翌日にはアメリカ軍の潜水艦によって動向が察知され、攻撃を受けるのは時間の問題となりました。ただ、この日は交戦することなくそのまま翌7日を迎えます。

 正午過ぎ、沖縄近海のアメリカ軍空母が発進させた艦載機の大編隊が襲来、艦隊は猛攻にさらされます。早くも被雷し航行不能となった「矢矧」を救助しようと「磯風」は横づけを試みますが、至近弾によりこちらも航行不能に。「磯風」は「矢矧」「大和」沈没後も洋上を漂っていました。

 さらなる敵の攻撃を懸念し、日没後「磯風」は味方艦による処分が決定します。生存者を駆逐艦「雪風」に移乗させると、同艦は満身創痍の「磯風」を砲撃。深夜、鹿児島県の坊ノ岬沖約200kmの地点に没しました。

 ちなみに、全部で19隻あった陽炎型駆逐艦のうち終戦を迎えたのは、「雪風」ただ1隻のみでした。