日本初の超音速機が初飛行したのは半世紀以上前のこと。

イザというときは戦闘機にもなるよう設計

 1971(昭和46)年7月20日、三菱重工が開発したT-2練習機が初飛行しました。

 T-2は、日本が初めて開発した超音速ジェット機で、従来のT-33ジェット練習機とF-104J戦闘機の性能差を埋めるための「高等練習機」という位置づけで開発された機体です。

 開発に際しては、アメリカ・ノースロップ(現・ノースロップ・グラマン)製のT-38「タロン」ジェット練習機を導入すべきという声もあったものの、国内航空産業の育成を鑑みて国産化することが決定、1967(昭和42)年から本格的に研究が始まりました。

 当時、航空自衛隊では性能が陳腐化したF-86Fジェット戦闘機を用いて若手パイロットの操縦教育や戦技訓練を行っていたほか、余剰化した機体の一部については対地攻撃が主任務の、いわゆる支援戦闘機として運用していました。

 ゆえにT-2の開発要求には、F-86Fの後継として戦技訓練が可能で、かつ支援戦闘機としても運用可能な潜在能力を持つことも盛り込まれます。

 そのため、有事の際には補助戦闘機として用いることもT-2は想定されており、そのためのシステムを装備したタイプも製造されました。具体的には武装無しの前期型と、武装有りの後期型です。

 後者は、機首左側に固有武装として20mmバルカン砲を装備するほか、左右の主翼端には短射程空対空ミサイル「サイドワインダー」のレールマウントが設けられています。またこれらの制御用にJ/AWG-11火器管制レーダーを搭載するほか、コックピットにはCSF社製の光学照準器が設置されており、さらに胴体下のハードポイントには訓練弾用のディスペンサーも装備できるようになっていました。

意外とバラエティに富むT-2ファミリー

 T-2は冒頭に述べたように1971(昭和46)年7月20日に初飛行したのち、11月19日の30回目の飛行で音速を突破しています。その後、各種試験を実施したうえで、1974(昭和49)年7月29日に防衛庁長官(当時)の部隊使用承認を取得、1988(昭和63)年までに前期型と後期型あわせて96機が生産されました。

 T-2は、日本初の超音速戦闘機であるF-1の開発母体にもなったほか、2代目ブルーインパルスの使用機にもなり、さらにアグレッサー(仮想敵)飛行隊である飛行教導隊(現飛行教導群)でも用いられています。

 さらにCCVと呼ばれる運動能力向上機の研究母機として、機体各所にカナード翼を取り付けた「T-2CCV」も作られるなどしており、運用先は多岐に渡りました。

 ただ、後継であるF-2戦闘機の配備が進むにつれ徐々に退役、2006(平成18)年3月2日に最後の機体が岐阜基地でラストフライトを行い、運用を終了しています。