旧日本海軍の空母「雲龍」が1944年の今日、竣工しました。航空戦力を補強するため、戦没した「飛龍」の図面を流用し量産を試みた中型空母の1隻でしたが、敗色濃くなるなか、戦果らしい戦果はあげられませんでした。

「飛龍」の設計図流用し中型空母を建造

 1944(昭和19)年の8月6日は、旧日本海軍の航空母艦「雲龍」が竣工した日です。当時、すでに航空戦力が勝敗を左右することは周知の事実となっていましたが、戦局は圧倒的にアメリカ有利に傾いており、就役しても搭載する航空機がないなど、その存在意義に疑問符が付く空母となってしまいました。

 太平洋戦争開戦から半年後の1942(昭和17)年6月、ミッドウェー海戦で主力空母を4隻失った日本は中型空母の建造を急ぎます。こうした経緯で生まれた雲龍型空母は10隻あまりの建造が計画されたものの、戦局の悪化などから3番艦「葛城」を最後に終戦を迎えます。

「雲龍」は、前出のミッドウェー海戦で沈没した「飛龍」の図面を流用して建造されました。ただ、それまでの実戦における使い勝手などは反映されており、たとえば艦載機の離着艦の際に不都合を生じた左舷側の艦橋は、「蒼龍」と同じく右舷側に設置されています。ほかにも対空機銃の増設や格納庫エレベーターの大型化なども施されました。

 しかし「雲流」が竣工した頃は、サイパン島およびグアム島を巡って勃発したマリアナ沖海戦で旧日本海軍が敗北した直後。航空機や搭乗員を多数失い、そもそも搭載する航空機がないばかりか、燃料も十分ではありませんでした。そのため、「雲龍」は空母としての任務に就けないまま、訓練などを行い待機し続けます。

「輸送船」として使ったことも、犠牲者増大の要因に

 1944(昭和19)年10月、フィリピンのレイテ島を巡ってレイテ沖海戦が勃発。空母や戦艦のほか多数の航空機を失い、またしても旧日本海軍は大敗北を喫しました。「雲龍」は一連の戦いには参加していませんが、所属していた航空隊は戦線に投入されました。

 いよいよ航空戦力を消耗したことで、もはや「雲龍」には出番がない状況になります。その後は広い格納庫と中型空母譲りの高速性を活かし、輸送任務に用いられました。武器・弾薬のほか大発動艇や軍用車両、陸軍部隊までも輸送しています。

 12月、「雲龍」はフィリピン方面における防御作戦のため、特攻専用機「桜花」を搭載。駆逐艦の護衛を付け、マニラを目指し東シナ海まで進出していました。

 19日午後、艦隊はアメリカ軍の潜水艦に発見されます。駆逐艦が爆雷を投下するなど応戦しますが、潜水艦は魚雷を発射。うち1本が「雲龍」に命中します。電源設備の損傷と浸水により、「雲龍」はほどなくして航行不能に。輸送物資を海中に投棄し復原を試みますが、またしても潜水艦が放った2本目の魚雷が「雲龍」に命中しました。

 搭載していた「桜花」に引火し、「雲龍」は火災に見舞われます。消火もままならず、夕方に「雲龍」は沈没。なお、この時も兵士が大勢乗艦していたことから、犠牲者は旧海軍の空母史上、最多だったといわれています。

 敵部隊を攻撃するため外洋へ進出し、艦載機を発艦させる――「雲龍」には最後まで、その機会が訪れることはありませんでした。