37年前の9月17日、北海道の国鉄ローカル線「美幸線」が廃止されました。

オホーツク海を目指すも断念

 今から37年前の1985(昭和60)年9月17日。美深と仁宇布をむすぶ北海道の国鉄ローカル線「美幸線」21.2kmが廃止されました。

 美幸線はその名のとおり、宗谷本線の美深駅と、興浜北線の北見枝幸駅を結ぶ計画でした。つまり、内陸部とオホーツク海沿岸部を直結する役割を担うはずだったのです。

 ここに鉄道を敷こうという動きが本格化したのは、戦後になってからでした。地元の要望活動も功を奏し、1953(昭和28)年に建設が正式決定、1964(昭和39)年にまず仁宇布までが開業を果たしました。

 仁宇布から先はいよいよ急峻な山岳区間となります。当時の国鉄新線はすでに、地形に合わせて曲がりくねるのではなく、トンネルや橋梁を駆使して最短距離で結ぶルートが各地で採られていました。美幸線も長さ1000m越えのトンネルが複数着工され、大がかりな建設事業へ突き進んでいきました。

 難工事のため開業予定は延期に延期を繰り返し、ほぼ完成に近づいたのは1979(昭和54)年。しかしもうその頃には、国鉄の経営は末期的で、不採算路線を廃止する方向に舵を切っていました。

 もともとネットワーク路線として建設された美幸線は、美深〜仁宇布だけの運行では需要が到底あるはずもなく、「日本一の赤字線」と言われました。これをアピールし、集客のためのキャンペーンを行っていましたが、甲斐なく1981(昭和56)年に廃止が決定します。1983(昭和58)年度の路線収支を見ると、営業係数(100円を稼ぐのに必要なコスト)は4780にも達していました。

 1978年10月時点のダイヤでは、1日5往復が運行。21.2kmを30分かけてのんびりと山間部を抜けていました。早朝のみ、名寄からの直通便があったそうです。

 ほとんど活用されないまま20年あまりで廃止された美幸線ですが、1998(平成10)年にこの廃線跡を活かし、仁宇布駅から約5kmが自走式トロッコによる観光施設として“再開業”しています。毎年1万人以上が、かつての鉄路の記憶を求めて訪問します。