44年前の9月18日、岐阜県のローカル私鉄「北恵那鉄道」が廃止されました。

かつては国鉄新線計画も

 今から44年前の1978(昭和53)年9月18日。岐阜県の中津川から伸びていた私鉄ローカル線「北恵那鉄道」22.6kmが廃止されました。

 北恵那鉄道は1924(大正13)年に開業、中央本線の中津川駅に隣接した「中津町駅」を出発し、付知川をさかのぼる形で、旧付知町の入口にある「下付知駅」までを結んでいました。

 流域は林業が盛んな地域で、木材輸送も盛んに行われました。13年後には、さらに上流域の加子母までをむすぶ「付知森林鉄道」も開業しています。

 中津町から下付知まで、途中駅は11個。1967年10月時点のダイヤでは、中津川発が18便、下付知発が16便。ほぼ1時間間隔で運行されていました。22.6kmを約1時間かけてのんびりと走り、「日本一遅い電車」というあだ名もあったそうです。

 1970年代に入ると経営は厳しさを増し、日中の鉄道運行も停止。そして1978年に全てバス転換され、約半世紀の歴史に終止符が打たれました。

 廃線跡は今もいくつか見ることができますが、中でも中津町を出発してすぐ木曽川を渡る「木曽川橋梁」は、鋼製トラスや橋桁を含め、当時の面影を色濃く残しています。

 ちなみに、国鉄は「下呂線」として、北恵那鉄道と共通するルートで、新線の計画を進めていました。結局実現しませんでしたが、全通すれば、中津川と下呂が繋がり、中央本線と高山本線の短絡線ともなるはずでした。