99年前の10月30日、旧日本海軍の軽巡洋艦「川内」が進水しました。

軍縮を受けて開発最後となった「川内型」

 今から99年前の1923(大正12)年10月30日。旧日本海軍の軽巡洋艦「川内(せんだい)」が進水しました。

 同艦は駆逐艦を多数率いて戦う「水雷戦隊」の旗艦として運用するために建造された「軽巡洋艦」の1艦です。旧海軍が設計した天龍型、球磨型、長良型に次ぐ第4世代の「川内型」のネームシップ(1番艦)として建造されました。

 なお、川内型として同時期に建造された軽巡洋艦には、「神通」「那珂」があります。ほかにも1隻が建造中、4隻が建造予定でしたが、折しもワシントン海軍軍縮条約が発効されたこともあり、これら5隻は日の目を見ることはありませんでした。同時に、1919(大正8)年から続いていた軽巡洋艦の建造ラッシュも、一旦途切れることとなります。

 大正時代に建造された日本製軽巡洋艦の集大成といえる川内型。主たる改良点は、煙突が3本から4本に増えたことです。

 煙突が増えた理由は、石炭の使用量が増え、煙がより多く出るようになったから。これは、ボイラーを重油専用のものから、重油と石炭を混焼させるものの比率を増やす設計にしたためです。なぜなら、海軍において重油の消費量が飛躍的に伸びていたからで、万一戦争が起きたら、限りある重油を戦艦などの主力艦に優先的に回せるようにするためでした。

 また時代背景として、海軍だけでなく一般生活でも石油消費量が増加し、重油を日本海の油田だけでは賄いきれなくなってきたことがあります。

「川内」は軽巡洋艦ながら、使い勝手の良い艦として、船団護衛から物資・兵士の輸送、魚雷での攻撃など、常に第一線で使用され続けました。日中戦争を皮切りに、太平洋戦争ではマレー沖海戦、ミッドウェー海戦、ソロモン諸島の戦闘など太平洋を動き続けます。

 補修で本土へ帰る以外は休みらしい休みもなく、常に動き回っていた「川内」。その最後は1943(昭和18)年11月2日、ソロモン諸島最西端・ブーゲンビル島へのアメリカ軍上陸を阻止するための海戦で、魚雷攻撃を受けて沈没しました。海戦には同じ軽巡洋艦として、軍縮脱退後最初に生まれた「阿賀野」もいましたが、こちらは命からがら戦地を脱出しています。