ネームシップ「大和」から3か月遅れての進水でした。

旧日本海軍の「大和型戦艦」2番艦として誕生

 今から82年前の1940(昭和15)年11月1日。旧日本海軍の戦艦「武蔵」が進水しました。

「武蔵」は日本が最後に建造した大和型戦艦の2番艦で、ネームシップ「大和」とならび、戦艦のなかでは世界最大といわれています。1921(大正10)年のワシントン海軍軍縮条約の締結から15年以上の沈黙を経て、軍縮条約からの脱退を考慮して建造されたのが特徴でした。

 主砲口径は46cmを誇り、世界最大の艦載砲としてギネスブックにも認定されています。船体サイズは全長263m、最大幅39m。基準排水量は6万5000トン、出力15万馬力の蒸気タービンで最大速力27.5ノット(約50km/h)を発揮することができました。あわせて冷房やエレベーターなど小型艦などにはない設備もたことから、大和が「ヤマトホテル」と呼ばれたように、武蔵も「武蔵屋旅館」という異名が付けられたそうです。

「大和」同様、日本の技術の粋を集めて造られた軍艦であるため、機密が漏れないよう、建造中も徹底的に目隠しや人流の遮断が行われました。

 進水から約2年後の1942(昭和17)年8月5日に就役した「武蔵」が、本格的な実戦に参加したのは1944(昭和19)年6月のマリアナ沖海戦が初めてです。このときは姉妹艦の「大和」とともに空母群に先立ってアメリカ軍と対峙しましたが、アメリカ軍は後方へ回り込んで空母を次々と沈めてしまいます。

 それから4か月後に起きたレイテ沖海戦では、「大和」などとともに遊撃部隊として出撃。フィリピンのレイテ島に上陸しようとするアメリカ軍を海側から攻撃しようと攻勢をかけますが、途上のシブヤン海でアメリカ軍機の猛攻を受け、沈没。竣工からわずか2年3か月でその艦歴を閉じました。なお、日本が終戦を迎えるのは、それから約10か月後のことです。