110年前の1912年11月3日、京成の最初の区間が開業しました。

まずは千葉県の手前まで

 今から110年前の1912(大正元)年11月3日。現在の京成電鉄の最初の区間となる、押上〜高砂〜江戸川と、高砂〜柴又が開通を迎えました。

 古くからの参詣対象であった千葉県成田市の成田山新勝寺へのアクセス路線として建設が計画された京成線。当時から会社名は東京と成田から一字を取った「京成電気軌道」でした。

 当時の都心側ターミナル駅は押上駅。隅田川を渡れば浅草という立地にありました。着工から2年で、荒川・中川に橋を架け、江戸川手前の市川駅(現・江戸川駅)までを先行開業させたのです。

 市川駅と言っても、江戸川に橋が架かり、千葉県内へ進出するのは2年後。それまでは暫定措置として、渡し舟による市川方面への輸送が行われていました。念願の成田到達を果たすのは1930(昭和5)年です。

 押上〜江戸川の開通にあわせ、同じく参詣先として人気の柴又帝釈天への支線も開業します。現在の金町線です。そこから金町までは人車軌道(動力なしの手押し鉄道)が運行されていましたが、のちに吸収することになります。

 1925年4月時点のダイヤを見ると、押上〜千葉は15〜30分間隔の運転で、所要時間は1時間15分。運賃は56銭だったといいます。

 国鉄と接続しない押上駅が不便なため、京成はその後、浅草延伸計画や「白髭線」建設で千住を目指すなど試行錯誤したあげく、1933(昭和8)年に念願の上野進出を果たすことになります。