F-15誕生の30年ほど前に存在した元祖「イーグル」戦闘機。

大手自動車メーカーGMの子会社が開発

 1943(昭和18)年11月17日、アメリカのフィッシャー・ボディ(以下フィッシャー)が開発したP-75「イーグル」戦闘機が初飛行しました。

 この機体、メーカーも機種名もマイナーではあるものの、他機にはない特徴を持っていました。それが広く知られた傑作機、P-51「マスタング」戦闘機やF4U「コルセア」艦上戦闘機などをベースにしたという点です。いうなれば、名門航空機メーカーが開発した名機のイイとこどりをすることで、短期間かつ低コストで優秀機を開発しようという目論見のもと生まれた機体だといえるでしょう。

 開発が始まったのは、第2次世界大戦中の1942(昭和17)年2月、アメリカ陸軍が大馬力エンジンを搭載する迎撃戦闘機の開発を航空機メーカーに要求。これに対しフィッシャーが手を上げたのが端緒でした。

 フィッシャーは、アメリカの自動車メーカー、ゼネラルモータース(GM)の子会社で、いわゆるコーチビルダーと呼ばれる架装専門メーカーです。とはいえ、同社の生産能力は年間30万台以上と高く、その工場設備を用いて第2次世界大戦中は航空機や戦車の生産に携わっていました。

 ゆえに、技術や生産能力について問題なかったことから、アメリカ陸軍は新規開発も任せます。フィッシャーは、陸軍が要求した最高速度706km/h、上昇力毎分1700mという過大な要求に応えるために、大型機用である3000馬力級のアリソン製24気筒水冷エンジンをコクピット後方の胴体中央に積み、延長軸によって機首の二重反転プロペラを駆動させる構造を新型機に取り入れました。

 エンジンを胴体中央に置くのは、いちばん重量のある部材を機体中心に据えることで運動性をよくするためです。クルマのミッドシップレイアウトと同じ発想といえるでしょう。かつ機首にエンジンがないため、そのぶん機銃を集中配置でき、重武装化を図れるほか、機首形状を絞り込んだ形にすることができるため、空気抵抗を低減したデザインにしやすいというメリットもありました。

名機からの流用を止め専用設計にした結果…

 ここでフィッシャーは、開発期間の短縮と生産コストの低減を目的に、既存機の部品を積極的に流用することにしました。主要部分だけ見ても、主翼外側と胴体下部のラジエーター部分はノースアメリカンP-51「マスタング」戦闘機のものを、主脚にはヴォート(チャンス・ヴォート)F4U「コルセア」艦上戦闘機のものを、そして尾翼にはダグラスSBD「ドーントレス」急降下爆撃機のものを各々用いていました。そのため、独自設計といえるのは、コクピットを含む胴体前半分と主翼付け根くらいだったといいます。

 こうして、P-75は開発契約の締結から約1年で試作機の初飛行にこぎ着けます。ただ、試験飛行は惨憺たるものでした。機体前方を貫く延長軸は振動を引き起こし、なおかつエンジンの冷却不足も問題になりました。さらに重心位置もおかしかったため、機体の安定性も悪かったといいます。

 これら数多くの問題を改善するために、P-75は主翼や尾翼に既存のものを流用することを止め、コクピットの風防や重心位置まで見直す根本的な設計変更が行われました。しかし、ここまでの改良となると時間もコストもかかります。

 その結果、既存機を流用することによる開発期間の短縮や生産コストの低減は考慮できないところまできていました。加えて本機の開発がもたついているあいだに、既存のP-51「マスタング」やP-47「サンダーボルト」などでも長距離護衛戦闘機としての役割を担わせることが可能であることが判明したため、P-75の必要性は相対的に低下しました。

 その結果、P-75はわずか14機(試作機含む)が造られただけで部隊配備されることなく姿を消したのです。