旧日本海軍には太平洋戦争時、商船改造空母が7隻ありました。ただ、このうち5隻はかなり足の遅い「鈍足空母」で、空母艦隊同士の戦闘に参加することなく姿を消しています。では軍艦として無駄だったかというと、そうでもないようです。

先見の明がなかった艦政本部

 旧日本海軍は、太平洋戦争に7隻の商船改造空母を投入しました。このなかで空母機動部隊同士の海戦に参加できたのは、最高速度が25.5ノット(約47.2km/h)と比較的高速を発揮できた飛鷹型の2隻だけで、最高速度が21ノット(約38.9km/h)の大鷹型3隻と神鷹、23ノット(約42.6km/h)の海鷹はほぼ主要な海戦に参加しないまま、戦没しています。

 では、結局主要な海戦に参加できずに終わった、飛鷹型以外の日本の商船改造空母は太平洋戦争中、何をしていたのでしょうか。実は、戦い以外の重要な任務に地道に従事し続けていたのです。

 そもそも、空母としては小型といわれる大鷹型ですが、商船として見た場合は大型です。大型商船は戦争中では大量の物資や陸軍部隊を輸送できるうえ、輸送船として見た場合は前出の最高速度は高速といえる部類になるので、敵潜水艦からの攻撃も受けにくいことから、戦略的には非常に重要な船と言えるでしょう。

 そういった事情もあってか、旧日本海軍は上記の7隻以外にも「太平洋の女王」と讃えられた豪華客船浅間丸型2隻や、仮想巡洋艦に改装された大型貨客船報国丸型3隻も空母に改装するつもりで設計までしていたものの、空母化せずにあえて輸送船として運用し続けています。

 大鷹型が低速なのは、ベースとなった春日丸型貨客船の速力にも原因はありますが、艦艇を設計する「艦政本部」と、航空機開発を進める「航空本部」の連携不足が原因だといえるでしょう。

 艦政本部は水上艦艇を設計してきた部門なので、数年後の航空機の発達を十分に理解できていないところがありました。たとえば大和型戦艦は大規模な航空設備を備えていますが、航空艤装で想定していた機種は、就役時には旧式化必至の九四式水上偵察機であり、新型の零式三座水上偵察機は艦内格納庫に収容できませんでした。

 航空機開発に関して、仮想敵国の航空機の進歩を見据えて高性能な機体を作った結果、機体サイズが大きくなっていくことは、よくあることですが、艦艇を手掛ける艦政本部には「航空機の発達速度」が十分に理解できなかったということです。

足が遅くてもOKな用途とは?

 優秀船舶を空母に改造するにあたっては、一定の性能レベルが設けられていますが、その目安とされたのが「航空機種及性能標準」です。ただ、その基準は1935(昭和11)年の時点で「空母側が19.44ノット(約36km/h)を発揮できれば達成できる」というレベルでした。だからこそ、春日丸型を大鷹型空母に改装するにあたっても、最大速力21ノット(約38.9km/h)で問題なかったといえるでしょう。

 この「航空機種及性能標準」、1937(昭和13)年には改正され、空母側の速力は23.33ノット(約43.2km/h)が求められるようになります。こうしたことから、飛鷹型航空母艦は最高速度25.5ノット(約47.2km/h)となり、結果、太平洋戦争でほかの正規空母に比肩するほど活動することができたのです。

 もし、艦政本部が早い段階で「将来、航空機を発艦させるための合成風速はより必要となり、空母側が高速でなければならない」と認識するようになっていたら、空母改装を前提に建造された商船も、より快速性を要求するか(商船としては、過剰な高速性能は経済的に見合わないため、海軍が要求する必要があります)、空母改装の際に機関換装が可能な設計にしたと考えられます。

 では、結局主要な海戦に参加できずに終わった、飛鷹型以外の日本の小型空母は太平洋戦争中、何をしていたのでしょうか。結論からいうと、日本本土から戦地へ航空機を輸送する任務についていたのです。当時の技術力で航空機を空輸した場合、脱落機や行方不明機が発生することが多々あります。輸送船でも航空機は運べますが、分解する必要があるので、非常に手間がかかります。

 大鷹型などの小型空母は完成機をそのまま輸送できるため、基地航空兵力を主力と考えていた旧日本軍には欠かせない存在でした。これら小型空母は、艦載機ではない、双発機などの陸上機を運んだほか、場合によって陸軍機、重要物資、果てはトラックや戦車まで搭載して、重要な補給任務に従事していたのです。

 フラットな上甲板を持つ輸送船、いうなれば2022年現在、海上自衛隊が運用するおおすみ型輸送艦に近しい存在ともいえるでしょう。

 飛鷹型空母以外の日本の商船改造空母は、海戦で重用されることはありませんでしたが、縁の下の力持ちとして輸送任務に従事し続けた、隠れた「武勲艦」と言えるのではないでしょうか。