42年前の1980年11月28日、大阪市内を走っていた路面電車「南海平野線」が廃止を迎えました。

大阪市東南部の交通を担う

 今から42年前の1980(昭和55)年11月28日。大阪市南部を走っていた路面電車「南海平野線」が廃止を迎えました。

 南海平野線は郊外住宅地であった阿倍野区・東住吉区を縫う生活路線として、1913(大正2)年に開業。戦後同じルート上に地下鉄谷町線が建設されることとなり、廃止となったのです。

 阪堺線の今池駅から分岐し、阿倍野筋と交差すると向きを南東へ変え、平野へ向かっていました。途中、飛田・阿倍野・苗代田・文ノ里・股ヶ池・田辺・駒川・中野・西平野の停留場がありました。阿倍野から天王寺方面へ乗り入れる系統もあり、車掌は阿倍野の交差点通過時に、電車の集電ポールを手際よく上町線の架線へ切り替えていたといいます。

 さて、谷町線は当初、守口から天王寺までを結ぶ路線として計画・建設されていましたが、現在の平野区の発展と渋滞激化をうけ、八尾南までの延伸が決定。おりしも阪神高速14号松原線の計画もあり、高速の橋脚基礎と地下鉄設備を一体的に整備し、かつ南海平野線の鉄道敷地を活用することで事業期間の短縮を図ったのです。

 1970年代初頭から工事が進められ、平野線は「仮線」という形で、工事現場の片隅を肩身狭く走る存在となります。最終運行日は沿線住民やファンに惜しまれ、お祭り状態であったといいます。今池で立体交差していた「天王寺支線」も1993年に全廃され、大阪市内に残る南海のローカル区間は、西成区・浪速区を抜ける「汐見橋線」のみとなっています。