航空自衛隊のF-2は、FS-Xと呼ばれていた1980年代、国内開発か米国のF-16を基にするか、戦後最大の日米問題と言われたほど両国が激突しました。結果的には後者が採用されましたが、日本の案はどのようなものだったのでしょうか。

いまのF-2とはだいぶ違う日本版「FS-X」

 次期支援戦闘機「FS-X」として開発がスタートしたのち、1987年に開発母機がF-16に決まり、2000年に部隊使用承認を取得し、それから2022年現在も航空自衛隊の主力機のひとつとして君臨するF-2戦闘機。そのような「FS-X」は1980年代に、国内開発か、米国のF-16をベースにするかといったポイントで、戦後最大の日米問題と言われたほど両国が激突しました。最終的にはF-16をベースに開発が進められることになったものの、日本は当然国内開発にこだわり、独自の機体イメージ図も発表しています。これには日本側の強い、政治的ともいえる意志が込められていたと、今も思います。

 FS-Xは、F-16の前方にカナード翼(先翼)を付けたイメージ図と、後にカナード翼を取り除いたイラストが当時知られていました。その一方で、三菱重工業も1987年5月、FS-Xの国内開発案を発表しています。「FS-X 国内開発」などをキーワードとして検索すると、画像ごとに尾部などに細かな違いはあるものの、双発(F-2は単発)エンジンを搭載し尾翼にカナード翼を付け、主翼下に落下タンクを下げた機体のイメージ図が現れます。

 日本側が構想していたとみられる「FS-X」の設計イメージ図は、当時計画されていた欧州機と同じく、カナード翼付きのほぼデルタ翼(三角の形状をしている大きな主翼)を持ちます。エンジンに空気を導く形状は直線的なものが採用されており、これは空気の流入に敏感だったターボ・ファン・エンジンを意識していたのでしょう。また、垂直尾翼の面積を高くすることで、高迎角で効きを確保するなど、世界的な設計のトレンドを取り入れています。

「FS-X」の設計が議論になっていた時代、ステルス機能は、まだ世界各国とも外形へ本格的に取り入れておらず、それゆえ、日本側のイメージ図もステルスを大きく意識した外形といえないものでした。

 その一方で日本側の「FS-X」の設計イメージ図は、大型の対艦ミサイルを4発、それも胴体に密着するような形で設置する増槽「コンフォーマルタンク」のように胴体にほぼ密着させた位置に搭載し、空気抵抗を減らす斬新な試みが採用されていました。また、中距離空対空ミサイルについても懸架装置を替えて同じような搭載方法を考えていたようで、こういった意味では日本側の「FS-X」の設計案は、独自の取り組みも見られるものでした。

日本版「FS-X」にかけられた強い技術者の意思

 のちのF-2戦闘機につながる「FS-X」も、前作機のF-1も、米ソ冷戦の下、対艦攻撃力を重視した機体となっていました。加えて「FS-X」は、F-1になかった中距離ミサイルの搭載で対空戦闘を意識したマルチロール機を目指したと言えます。

 つまり、日本側が考えていた「FS-X」の設計案は、F-1で培った経験に上乗せして、日本独自の機体をつくり上げようと日本の技術陣が意気盛んだったことの証といえるでしょう。彼らは、昭和の若者言葉で、「ブイブイ言わせていた」いたのです。

「FS-X」の日本側のイメージ図は、米国と論争が激しさを増す中、「日本もここまでできる」と示すために発表されたのは間違いありません。国内開発で決着させるための強い意志がイメージ図には込められていたのです。

 後年、筆者は三菱のグループ会社関係者から「あくまでも開発にお金をかければできた機体」と聞かされました。とはいえ当時、「FS-X」は国内開発か米国機をベースにするか、日米の宣伝合戦の様相も見せており、日本側もなんとか国内開発の線を推し進めようと必死だったのでしょう。

 2022年現在、F-2戦闘機の後継機として「次期戦闘機」と呼ばれる機体を日本・英国で共同開発を進めています。現在の、あるいはこれから公表される「次期戦闘機」のイメージ図は、どんな意志が込められるでしょう。無人機や弾道ミサイル対応態勢が注目を浴びていますが、初の日英共同開発など見逃せない点もあります。それだけに気になります。