西武線や東武東上線には、「東」とつく自治体名と同名の駅が多く存在します。その多くは、単純に地域の東を表すものではなく、離れた地名と区別するためです。「東ナントカ」のルーツをそれぞれ紐解くと、駅名との関係が見えてきます。

「東ナントカ」だらけの西武線&東武東上線 ルーツをたどる

 西武線に乗っていると、「東●●」とつく駅がやけに多いことがわかります。その多くは“地域の東側”の意味ではなく、自治体名にも「東」がつき、その自治体を代表する中核駅です。東武東上線の東松山駅/東松山市なども同じですが、いかにも、本家「●●」の後に成立した印象をぬぐえません。なぜこのようになったのか、それぞれのルーツを紐解いてみます。

東村山駅(西武新宿線ほか)/東京都東村山市

 東村山は今回紹介する地名・駅のなかで、最も“すんなり”成立した事例かもしれません。1889(明治22)年に東村山村が成立し、東村山町、東村山市と発展してきました。1895(明治28)年に現在地へ開業した東村山駅も、それから128年ずっと名前が変わっていません。

 地名の由来はズバリ「村山地域の東」だからです。もともと村山地域の中心地は現在の武蔵村山市あたりでしたが、東村山は多摩のなかでも早い段階で鉄道が開通したことにより、東京のベッドタウンとして発展しました。

 一方、鉄道が通らなかった武蔵村山市域は、「東」がつかない村山村、村山町を経て、東村山市に遅れること6年後、武蔵村山市として市制施行。「武蔵」がついたのは山形県村山市と区別するためとされています。

東伏見駅(西武新宿線)/東京都西東京市

 東伏見は自治体名ではありませんが、駅周辺の地名にもなっています。旧保谷市に属するこの付近は、北側の下保谷に対する「上保谷」という地域で、駅も最初は上保谷駅を名乗っていました。

 駅開業から2年後の1929(昭和4)年、沿線に名所を設けようとした西武鉄道(旧)が、この地に京都の伏見稲荷大社の分霊を勧請して「東伏見稲荷神社」を創建。駅名も東伏見駅に改称されました。地名としての東伏見は、この神社にちなんで1966(昭和41)年に成立しています。

歴史の分岐点? 「東松山」

 戦後に成立した「東●●」は、波乱含みだったようです。

東松山駅(東武東上線)/埼玉県東松山市

 東松山の地は松山城の城下町として古くから発展。1889(明治22)年に松山町が成立し、1923(大正12)年には現在の東松山駅が「武州松山」駅として開業しています。1954(昭和29)年に東松山市が成立、これに伴い駅も東松山駅に改称しましたが、その際に“ひと悶着”がありました。

 もともと松山町は「松山市」とする予定でしたが、愛媛の松山市と混同するおそれがあるとして、国が避けるよう要請し、東松山となった経緯があります。これ以前には、福岡県若松市(現・北九州市)と福島県若松市(現・会津若松市)、広島県府中市と東京都府中市といった、離れた地域に同一市名が誕生していましたが、この東松山の事例を端緒として、同一市名が認められなくなっていったとされます。

東久留米駅(西武池袋線)/東京都東久留米市

 東久留米市の自治体としてのルーツは、1889(明治22)年に成立した久留米村です。その由来について市は、地域を流れる黒目(くろめ)川が“くるめ”とも読まれ、これが集落の呼称になったのではないかとしています。明治政府が編纂した『皇国地誌』では、黒目川は「久留米川」と記されていたそうです。

 ただ1915(大正4)年、久留米村に開業した駅は最初から「東久留米」を名乗っています。1956(昭和31)年に久留米村は久留米町となり、1970(昭和45)年の市制施行時、先述した国からの要請もあり、福岡県久留米市との混同を避ける目的から東久留米市となりました。すでに駅名が東久留米だったこともあり、町民からも東久留米を希望する声があったとされます。

東大和市駅(西武拝島線)/東京都東大和市

 東村山市や武蔵村山市に隣接する東大和市は、村制施行時、政争が盛んだった6村が「大いに和して」一つになるとの意味を込めて「大和村」という名称で合併・成立したのが始まりです。実はこのように、争いを経て、本来の地名と関係ない「大和」に落ち着いた事例は全国に複数あり、神奈川県大和村(現・大和市)、埼玉県大和町(現・和光市)も同様の理由で成立しています。

 戦後に3つの中で最初に市制を施行したのは「神奈川県大和市」です。駅名はもともと「大和」で変更ありませんでした。東京都大和町と埼玉県大和町は、同じ1970(昭和45)年に市制施行となったものの、埼玉県大和町は新市名を公募し「和光市」に決定。東武東上線の「大和町」駅も少し遅れて「和光市」駅へと改められました。

 東大和市は市名の由来について「東京の大和市」という意味だと説明しています。なお、駅名はもともと野火止用水をまたぐ青梅街道の橋にちなみ「青梅橋」駅でしたが、青梅に行く人が間違えて下りるケースがたびたびあったとか。市から駅名変更を西武鉄道に要請し、東大和市の成立から9年後の1979(昭和54)年、「東大和市」駅になっています。

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 こうしてみると、「武州松山」や「東久留米」など、駅名が最初から既存駅との混同を避けて名称を区別しており、あとから地名が成立し、その過程で「東●●」に落ち着いたケースが多いといえるのではないでしょうか。