アンケートの結果、「東海道・山陽・九州新幹線で最も影が薄い駅」となった厚狭駅。現地を訪ねると、往年の特急時代を思い起こす長大なホーム、伝統産業、伝説など、実は“濃ゆい”まちだとわかりました。
山陽新幹線で最も新しい駅
山口県山陽小野田市にある厚狭(あさ)駅。JR山陽新幹線と山陽本線、美祢線が乗り入れます。実はこの厚狭駅、「乗りものニュース」で2023年6月末から7月初めにかけ実施したアンケートにおいて、「東海道・山陽・九州新幹線で最も影が薄い駅」となりました(得票率:58.0% 有効回答数:1504)。
厚狭駅は、山陽新幹線の速達種別「みずほ」「のぞみ」「さくら」「ひかり」が停車しない唯一の駅であり、またN700系列の停車もないというのは、筆者(安藤昌季:乗りものライター)としては逆に際立った個性のような気もします。いったいどのような駅なのか、7月に現地を訪問しました。
厚狭という地名は「梓弓」の「あずさ」が短くなったものとされています。『続日本紀』には、768年に「長門国厚狹郡」という記述もあります。山陽道巡察使の藤原雄田麻呂が「銅の貢納の代わりに養蚕をさせて、真綿を納めさせてはどうか」と提案しており、古代から栄えていたのでしょう。
駅の開業は1900(明治33)年のこと。日本最大級の私鉄であった山陽鉄道が延伸し、その終着駅となったことに始まります。開業から半年後、山陽鉄道は馬関(現・下関)駅まで延伸して途中駅となりますが、1905(明治38)年、山陽鉄道は厚狭から北に位置する大嶺炭田の石炭輸送を目的に支線を開業し、これが現在の美祢線となります。
新幹線の駅が開業したのは1999(平成11)年のこと。山陽新幹線で最も新しい駅です。ホームは相対式2面で、真ん中に通過線。プラットホームのある線路と通過線の間には、かつての高架橋側壁が一部残り、後から開業した駅であることがわかります。
なお、プラットホームは中央部だけに屋根があり、その下には立派な座席がある待合室も備わります。他方、ホーム自体は16両の長さがあるため、その端は屋根がなく、かなり解放感のある風景を楽しめます。ユニークなのは、号車位置を示す札に、少し角度が付けてあることです。
かつては特急「かもめ」や寝台特急「富士」などが停車した
新幹線ホームからは在来線ホームが見下ろせます。4面7線の規模を持つ、堂々たるターミナルですが、5・8番のりばは使われていないようです。
なお、山陽本線に在来線特急が走っていた1960年代、厚狭駅は特急停車駅であり、京都〜西鹿児島(現・鹿児島中央)間を14時間50分かけて走る昼行特急「かもめ」や、新大阪〜下関間の特急「しおじ」が停車していました。寝台特急は「富士」「はやぶさ」「さくら」が年代によっては停車したり、また通過となったりという感じですが、いずれかの列車は停車しており、無視される駅ではありませんでした。
広大な構内を見下ろすと、そうした過去の栄華が偲ばれる立派な駅です。停車していたのは近郊型115系電車の4両編成なので、ホームが短く見えます。
では構内を移動してみましょう。コンコースに降りると、世界的にも著名なガラス工芸作家・竹内傳治氏の水指やグラスなどが展示されており、目を楽しませてくれます。隣には「第1回現代ガラス展inおのだ」審査委員賞を受賞した長谷川秀樹氏の作品も展示されています。
山陽小野田市はガラス工芸が非常に盛んであり、市内のあちこちに作品が飾られています。「きららガラス未来館」では製作体験もできるとか。そもそも、この地域は6世紀後半から「須恵器」を作る窯業の町であり、ガラスも窯を使う産業としての伝統を受け継いだ文化のようです。
改札を出ると「厚狭駅周辺 グルメMAP」の地図が貼られていました。「寝太郎窯」の陶芸家の作品も展示され、窯の町であることが重ねてアピールされています。厚狭高校の生徒が作った山陽新幹線厚狭駅の模型もありました。
降りて実感“濃ゆい”駅!
訪問した際は災害で山陽本線も美祢線も不通になっており、代行バスの案内がありました。新幹線口から外に出ようとすると、コンコースで「ようこそ厚狭へ」と地域キャラクターの絵が出迎えてくれますが、名前が書かれておらず、商売っ気はありません。
新幹線口の駅前は高い建物がなく、空が広いです。「厚狭駅構内ご案内」を見て気づいたのが、反対側の在来線口に抜ける道がないということ。仕方がないので、自動券売機で入場券を買って改札内に入り、在来線ホームへ向かうための跨線橋を通って反対側を目指しました。
在来線口にたどり着くと、「美祢線代行バス」の表示も。不思議なのは、美祢線ホームである1番のりばに、列車に背を向けたベンチが置かれていること。列車の到着が見えないけどいいのでしょうか。
在来線口にはセブンイレブンがあり、外に出ると新幹線口とは違い、駅前には街並みが広がります。駅前には「寝太郎之像」が建ちます。厚狭には、ものぐさで寝てばかりなので「寝太郎」と呼ばれた若者の物語が伝わっています。次のような内容です。
寝太郎は庄屋だった父に仙石船を作らせ、大量のわらじを積んで佐渡島に行きました。そこで「この新しいわらじと、古いわらじをタダで替えてやる」と呼びかけ、大量の古いわらじを集めました。戻った寝太郎が古いわらじを洗うと、佐渡の砂金が落ちて山盛りに。寝太郎は砂金を原資に灌漑用水路を作り、厚狭に豊かな水田を広げたのです。
このようなお話ですが、「防長風土注進案」に原型があり、そこでは寝太郎がおじいさんとされていることから、銅像も「翁像」かもしれません。
駆け足で見ても、見どころ豊富な厚狭のまち。筆者には「影が薄い駅」ではなく、滞在してみたい駅と地域だと感じられました。
※本文末、修正しました(8月14日11時30分)。