旧日本海軍が終戦直前に初飛行させた試作機「震電」は、エンジンとプロペラを機体後部に付けた、特殊な形状をしていました。しかし、同時期に同じような機体は他国でも開発されていました。それらは一体どうなったのでしょうか。

「震電」に負けず劣らず個性的な米英の試作機

 ゴジラ映画の最新作『ゴジラ−1.0』には、旧日本海軍が開発した試作機「震電」が登場し、スクリーンの中を縦横無尽に飛び回ります。

「震電」の特徴はなんといっても機体後部にエンジンとプロペラがあり、機首に小翼を付けた独特な形状でしょう。このような形の飛行機は「エンテ型機」などと呼ばれ、第2次世界大戦中に日本のみならず、世界中で研究されていました。代表的なのは、アメリカのカーチス・ライトXP-55「アセンダー」とイギリスのマイルズ「リベルラ」です。

 ただ、戦勝国のアメリカやイギリスも結局、エンテ型機を採用することはありませんでした。いったい、なぜ実用化されずに消えてしまったのでしょうか。

 そもそも「エンテ(Ente)」とはドイツ語で鴨のことで、フランス語では「カナール(Canard)」と呼ばれます。ちなみに、これを英語読みすると「カナード」となります。現代戦闘機のユーロファイター「タイフーン」やダッソー「ラファール」、サーブ「グリペン」などが主翼の前に備える小翼を、まさに「カナード」と呼びます。

 まず胴体の前端にプロペラ、その後ろの機首部に重いエンジンを置き、胴体のほぼ中央に最大の揚力を生む主翼を配して、胴体最後部に垂直尾翼と水平尾翼を設けたのが一般的なレシプロ単発機のデザインです。そして、機首先端のプロペラをエンジンで回し、このプロペラが生んだ強力な気流を後ろへ向けて送り出すことで生じる「牽引力」で、機体全体を引っ張るように飛行します。

 このようなオーソドックスな配置ではない構造の機体として開発されたのがエンテ型機です。胴体の先端にエンジンを置かず、機首部分に水平尾翼の代わりとなる水平前翼を備え、胴体後部に大きな主翼を配したもの。エンジンは逆に胴体の後部に配置し、プロペラを機体最後端で回して気流を後ろに向けて強く送り出すことで生じた「推進力」によって飛行する単発エンジン機として設計されました。

高速で重火力なら「形は問わず」 アメリカのエンテ型

 アメリカで開発されたエンテ型機のXP-55「アセンダー」は、P-40「ウォーホーク」戦闘機などを設計したカーチス・ライト社が手掛けた機体です。発注元のアメリカ陸軍航空隊(現アメリカ空軍)は1939年に、従来のプロペラ単発型の戦闘機よりも「高速で重火力を備えて視界良好」な機体なら、どのような設計のものでもよいという要求仕様を提示しました。これに対し、カーチス社はエンテ型の本機を提案し、陸軍航空隊からゴー・サインを得て開発に着手します。

 ただ、きわめて実験性の高いプロジェクトであり、「うまくいけば実用機となる」程度の判断で始まった開発でした。一応、社内における自費での実験などを済ませたあと、1943年7月19日に試作1号機を初飛行させます。しかし、安定性が著しく不足していることが問題視されました。

 その原因のひとつが、当初予定されていた2200馬力の新型エンジンが開発中止になったため、代わりに約1200馬力と1000馬力も低出力のエンジンを使わざるを得なかったことだとか。この結果、アンダーパワーとなっただけでなく、安定性にも影響が出たとされています。

 なお、日本の「震電」も初飛行時に安定性が独特である点が指摘されていることから、エンジン出力の問題よりも、エンテ型という形状が、既存の飛行機とは異なる、研究があまり進んでいない独特の飛行特性を生じさせた、というのが実情だといえるでしょう。

 加えてXP-55の最高速度は、同時期のオーソドックスなデザインの単発エンジン戦闘機よりも遅いものでした。安定性に欠け、さらに速度も遅いのでは開発を継続する意義が見出せません。こうして、同機は1945年5月に開発中止となってしまいました。

ジェットエンジン搭載する予定で生まれた試作機

 一方、イギリスのマイルズ社が開発した「リベルラ」は、胴体の後部に大きな主翼、そして機首部には大きめの水平前翼を備えた、エンテ型の亜形ともいえる機体形状が特徴です。

 リベルラにはM.35とM.39という2種類の機体があり、最初に開発されたのは前者になります。元々はイギリス海軍向けに提案されたもので、エンジンを胴体後部に搭載し、プロペラは「震電」と同じ後ろ向きのいわゆる推進式。低翼に配置された後部主翼の左右両端には、1枚ずつ計2枚の垂直翼が取り付けられていました。

 そして、大きめの水平前翼の前に、1人乗りのコックピットがある構造でした。本機は、あくまでも試作機のため1機しか造られませんでしたが、試験してみると比較的良好な成績だったため、同機をスケールアップして双発エンジン化することが計画されます。

 こうして生まれたのが、リベルラM.39です。同機は複数のターボジェットエンジンを備える高速爆撃機として構想されていました。

 しかし、ジェットエンジンの開発が進まないので、レシプロエンジン双発の縮小型検証機としてリベルラM.39Bが造られます。同機には、胴体後部に主翼があり、この主翼の左右中央部に、プロペラを前向きに備える形でエンジンをそれぞれ1基ずつ装備していました。

 垂直翼は胴体後端と主翼の左右端に、1枚ずつ計3枚備わっています。なお、機首部の水平前翼は大きく、その上に1人乗りのコックピットが設けられていました。

 リベルラM.39Bは 試作機が1機造られて1943年7月22日に初飛行しましたが、やはり外観こそ奇抜であったものの、既存の戦闘機を上回る性能ではなかったようで、結局、それ以上の機体は作られず計画は中止となっています。

 このように、エンテ型戦闘機の開発は日本だけでなくアメリカやイギリスでも進められていたのです。しかし、日本よりも強力なエンジンを開発・生産できる技術があった米英においてもモノにできなかったというのは、エンジン以外の要素として、当時はまだ解明されきっていなかったエンテ型機の飛行特性なども大きく関係していたからです。

 そう考えると、もし日本が「震電」を実用化できたとしても、高出力エンジンの搭載とは別の観点から、持て余した可能性があったかもしれません。