アメリカ海軍は、第2次世界大戦中にハイブリッド戦闘機なるものを開発し、部隊運用までしました。「ハイブリッド」といっても現代のハイブリッドカーとは異なるものですが、燃費が重要な要素のひとつである点は同じといえます。

飛行機におけるエンジンの信頼性は超重要

 21世紀の今日、当たり前となったハイブリッドカーは、電気モーターとガソリンエンジンを組み合わせて、おもに低燃費で走れることが大きなメリットですが、過去アメリカ海軍にも異なるエンジンを2基積んだハイブリッド戦闘機がありました。それがFR-1「ファイアボール」です。

 ジェット機は第2次世界大戦初期に姿を現すと、その高速性と将来性からドイツをはじめ各国で競って研究開発が進められました。ただし、初期のジェットエンジンは燃費が悪く、信頼性にも欠けるものだったため、その部分を補う技術が必要とされました。

 特に信頼性については、空の上でエンジンストップを起こしてしまえば一大事で、その危険性は陸上や水上の比ではありません。そこで考えられたのが、ジェットエンジンとプロペラ用レシプロエンジン(それまでのプロペラ機で使用されていたピストンエンジン)の両方を積むということでした。

 推進機関がジェットとレシプロの両方あれば、万が一ジェットが停止してもプロペラで飛ぶことができます。また高速であっても燃費の悪いジェットは戦闘時のみとし、それ以外の時はプロペラで飛行すれば燃費の改善も図れます。

 このようなハイブリッド構造は欧米各国で考えられ、アメリカ海軍も1942(昭和17)年末に、ジェットとレシプロの両方を搭載したハイブリッド戦闘機の開発を国内メーカーに要求、採用されたのがライアン・エアロノーティカルのプランでした。

 実機の開発は1943(昭和18)年2月からスタートし、翌1944(昭和19)年6月25日に試作1号機が初飛行に成功します。ただし、この時の飛行はレシプロエンジンのみで行われ、ジェットエンジンは使用されませんでした。

ジェットエンジンの進化でハイブリッドの意味なくなり退役

 FR-1の見た目はいたって普通の戦闘機でした。大きさは全長9.86m、全幅12.19m、全高4.15mで、たとえば零式艦上戦闘機(零戦)二一型の全長9.05m、全幅12.0m、全高3.53mとそれほど変わりません。しかしエンジンを2基搭載しているため、機体重量は自重で3590kgと、零戦の1754kgの倍近くありました。

 それでも最高速度は650km/h、航続距離は落下燃料タンクをふたつ付けた状態で約2610kmと、戦闘機としては問題ない性能だったため、量産化が進められました。

 この最高速度はジェットエンジンを使用した場合で、プロペラ使用時の巡航速度は約250km/hでした。またジェットエンジンで飛行する際はレシプロエンジンを止めるため、プロペラが止まっているのに飛び続けるという、エンジン2基搭載ということを知らなければ不思議に思える姿でした。

 1944(昭和19)年末には、レシプロエンジンをより強力なものに換装したFR-2も計画され、1945(昭和20)年1月にはFR-1が100機、改良型のFR-2が600機、発注されます。また同年5月には完成機によって、アメリカ海軍に最初の飛行隊が新編されました。

 しかし、その年の8月に第2次世界大戦が終結したことで、同年11月までに作られた66機で生産は打ち切られ、残りの630機以上はキャンセルになります。

 1945(昭和20)年11月6日には、護衛空母「ウェーク・アイランド」にて、ジェットエンジン搭載機として初めて空母への着艦に成功しますが、運用開始から2年後の1947(昭和22)年8月1日をもって、FR-1は全機退役となりました。

 ジェットエンジンの急速な進化によって、信頼性や燃費の悪さが短期間で改善されたため、ハイブリッド機を運用する意味がなくなったことが、FR-1の早期退役の理由です。結局、実戦に投入されることは一度もありませんでした。