『チャイルド44 森に消えた子供たち』で知られるダニエル・エスピノーサ監督がメガホンを取り、ジェイク・ギレンホールやライアン・レイノルズ、レベッカ・ファーガソン、日本からは真田広之が参加するなど、キャストの豪華さで話題を呼んだSFホラー映画『ライフ』。予告編に映し出される光景からは、「『エイリアン』の焼き直しでは?」と訝しむ映画ファンも多いように思うが、それは寧ろ逆だ。最新作『エイリアン:コヴェナント』を含め近年では精彩を欠いている『エイリアン』シリーズとは違い、本作はソリッドなSFホラーとして成立している。



物語の舞台は、宇宙を旋回するISS(国際宇宙ステーション)。乗組員のデビッド・ジョーダン(ギレンホール)、ミランダ・ノース(ファーガソン)、ローリー・アダムス(レイノルズ)、ショウ・ムラカミ(真田)、ヒュー・デリー(アリヨン・バカレ)、エカテリーナ・ゴロフキナ(オルガ・ディホヴィチナヤ)は、火星から採取した謎の生命体をカルビンと名付け、地球に持ち帰ろうとしていた。しかし、ヒューの不注意が原因でカルビンは沈黙してしまう。活動させようと電気刺激を与えると、カルビンは突如ヒューを襲撃。乗組員たちはカルビンを排除しようと試みるが、驚異的な生命力と知能を誇るカルビンは、次々と乗組員の命を奪っていき...。



映画『ライフ』



本作で特筆すべきは、世界的に知られる一流キャストが演じるキャラクターたちが、次々とカルビンに殺されていくという無慈悲なストーリーだ。通常、A級のスター俳優は自分が無残に死ぬような役を望まないし、そういった作劇は避けられる傾向にある。しかし、本作は『ゼロ・グラビティ』をほうふつさせる無重力空間におけるアクションを通じて、A級のキャスト陣がふんする登場人物が、次々とカルビンに襲われ、直視するのも憚られる死を遂げていく様を映し出す。この「スター俳優の死の積み重ね」という予期せぬ展開によって、物語には常に張り詰めた緊張が生まれ、観客は必然的に引きつけられることとなる。カルビンの異常な強さ・殺しに伴う暴力性の切れ味は、初期の『エイリアン』シリーズに勝るとも劣らないもので、この宇宙生命体の能力は良い意味でエグい。人間側に都合のよさが一貫して見えてこないストーリー構成も、実にエッジが効いている。



映画『ライフ』



通常、脱出ものやサバイバルものとして分類される映画は、登場人物が果たす自己犠牲や、「生き残ること」から生じる感動を印象的に映し出して幕を閉じるものだ。本作におけるカルビンのように、圧倒的な戦闘力を誇る敵キャラクターが存在する場合は、なおさら登場人物たちの協力に基づく打倒という結末を導くことが、観客にとっては気持ちがいい。しかし、エスピノーサ監督はこうした王道な作劇と距離を置いて、実に陰惨なラストを導く。本作のラストは、観客に感動を与えるどころか、果てしない恐怖と絶望を植え付けるものであり、この点からは既存の作品との差別化意識、徹底的に観客に衝撃を与えようという尋常ではないこだわりを感じることができた。



カルビンの暴走の果てに示される本作の残酷な結論は、余りにも救いがないように感じられるが、そう間違っていないものだと思える。というのも、地球外生命体と人類が友好関係を結ぶという理想論は、人類の歴史を鑑みるとあまり現実的ではないからだ。かつてコロンブスがネイティブ・インディアンを皆殺しにしたことが象徴的だが、人類ですら、未知の存在との「邂逅」に際しては、対象の殲滅を伴わせてきた。ましてや、地球外生命体が考えることなど我々には予測できるはずもなく、攻撃されるか、潰し合うことになると考えるのが、ロマンティックではないながらも、リアルな発想だろう。そういう意味で、本作は地球外生命体という存在に対する、現実的な回答を与えた作品になったのではないか。大衆受けはしないこと必至だが、映画『ライフ』は、リアルなSFホラーとして一見の価値を持つ作品である。



(文:岸豊)


映画『ライフ』

公開中





監督:ダニエル・エスピノーサ(『チャイルド44 森に消えた子供たち』『デンジャラス・ラン』)

出演:ジェイク・ギレンホール、ライアン・レイノルズ、レベッカ・ファーガソン、真田広之