日本人は肩書きに拘りがちだ。いくつかの分野に手を出していると、「本業は何?」と懐疑的な目で見られ、「副業をするな」と批判されることもある。モデルであり、小説家でもある押切もえはこの風潮をどう考えているのだろうか。


「最近は変わってきていると思います。知り合いの編集者は長年務めた出版社を退社後も、フリーで古巣と仕事をしながら、服のブランドとコラボ企画を立ち上げることもしています。1つの分野に留まらず、自分の能力をどう生かすかを基準に仕事をしている。芸能界に目を移しても、片岡鶴太郎さんは昔から俳優でもあり、アーティストでもある。最近では、税理士の資格を持つ芸人さんもいる。別の仕事をすることで、もう1つの仕事に良い影響を与えることもあると思います」



2000年代中盤、蛯原友里や山田優ととも『CanCam』のモデルとして脚光を浴び、同世代の女性を中心に多大な人気を得た。2009年に初の著書『モデル失格』で自らの半生を綴ると、13年には初の小説『浅き夢見し』(ともに小学館)を上梓。約3年に渡って執筆した同書では、25歳の売れないモデルを主人公に物語を展開。業界の裏側も赤裸々に描き、話題となった。



「読モ」から山本周五郎賞候補に



『浅き夢見し』

『浅き夢見し』




モデルとして確固たる地位を築いた彼女がなぜ、小説を書こうと考えたのだろうか。



「もともと私は読者モデルからスタートして、同世代の女の子と共感できる喜びが原動力でした。でも、キャリアが長くなるとラグジュアリーなものを身にまとう機会も多くなった。もちろん憧れなのですが、ずっと豪華な感じが続くと、自分が疲れていく部分があって。もっと等身大というか、本来の自分に近いものを出したくなってきた。その中で、小説を書くという方法が出てきたのだと思います。写真では伝えきれないことを表現したかった」



『浅き夢見し』では25歳の売れないモデルを主人公に業界の裏話のような際どい内容も混ぜながら、赤裸々に綴った。



「最初、主人公が辛くなる場面を書けなかった。私はモデルという仕事柄、かっこ悪い部分をさらけ出すことが苦手でした。すごくかっこ付ける癖があった。編集の方に『理想論ばかりを書いても読者に受け入れられない。もっと、エグり出したような感情が欲しい』と求められたんです。悲しさや苦しみを掘り下げて書かないと、机上の空論というか、共感もされない。苦難を描いてこそ、書き手の個性が出る。



指摘されて書き進めると、『ああ、こんなかっこ悪いことも書いていいんだ』とラクになった部分はあります。小説を書いたことで、モデルの仕事に取り組む時にもっと楽になれた。あんなにかっこつけなくて良かったんだなと感じました」



16年の『永遠とは違う一日』(新潮社)は第29回山本周五郎賞候補にもなった。



「『小説新潮』で一年間、連載しながら向き合った。それを単行本にしたので、いろんなことを深く考えましたね。賞の候補になった時はすごく嬉しかった。間違いが起きて、大賞を取れないかなと思っていましたけど(笑)。ダメだった時は結構スッキリした気持ちになりました。もう文章も変えられないのに『どうしよう、どうしよう』と思っていましたからね」



押切が作っていた「壁」



児童小説『わたしからわらうよ』 表紙のイラストも押切が描いた

児童小説『わたしからわらうよ』 表紙のイラストも押切が描いた




一作ごとに成長していく彼女は7月4日、新刊『わたしからわらうよ』(ロクリン社)を発売。なぜ、今までとは全く違う毛色の児童小説を出版するに至ったのか。



「14年から鳥取県の『あいサポート運動』に携わらせて頂いています。『障害を知り、共に生きる』をテーマに、障害のある方が暮らしやすい社会作りを目的とした支援運動です。その活動の底辺を広げる意味で、子供向けに何か書きたいなと思ったんですね。最初は絵本の案もあったのですが、鳥取県を舞台にした児童小説を選択しました。本に出てくる『ぱにーに』は実際に鳥取にある、障害のある方が働いているパン屋さんです。そのお店への取材も重ねました」



小説を執筆する際、編集者の指摘は素直に受け止めるか。



「そうだなと思った部分は直しますし、言われた以外のところを修正することもあります。たとえば、4章のことを指摘されていたとしても、1章を直せばわかりやすくなることもある。一方で、『私はこういうつもりなんです〜』と絶対直さない部分もあります。『わたしからわらうよ』では、最初のほうの場面で景色をあまり描かないようにしました。主人公の心境に変化が出てから、景色をよく見えるようにしようと思ったんです。編集者の方に『緑の美しさを最初から入れてください』と言われたのですが、そこは自分の考えを通しました」



同書では、「壁を作らない」ことをテーマに物語が展開されていく。押切は幼少期、自分の中に壁を作っていたという。



「保育園の年長の時、クラスで絵を描くとなりました。他の子たちは、お花畑みたいにたくさん花を描いていたんですね。私は、一輪のたんぽぽに絞った。図鑑のように、葉や茎、輪郭も細かく丁寧に描きました。そしたら、皆の前で先生に『子供らしくない』って注意されたんですよ。すごく恥ずかしかった。何も言えなかったですね。こういう時は子供っぽく描いた方がいいんだなって。たぶん、ああやって個性が失われていくんですよ。衝撃を受けました。



それから考え方が変わりました。子供は『〜〜ちゃん』と書く時、小さい『ゃ』と『や』の区別が付きづらいから、『ちやん』と書いてしまう。私は本をよく読んでいたので、『ちやん』じゃないのに…と思うんだけど、むしろ『ちゃん』と書けるほうが変に思われるので、わざと『ちやん』と大きく書いていましたね。子供は子供っぽく見せないといけないんだなと感じていた時期は確実にありました」



自ら壁を作ったというより、外圧によって壁を作らざるを得なかったという表現が正しいのかもしれないが、仮にそんな状況になっても、自らの方向性を変える必要はないと訴えたいのだろう。



「子供だからといって、考え方は必ずしも幼くないと思うんです。壁を作らないという1つのキーワードを、小さい頃から持ってもらえたらすごくいいなと思います」



書店員「押切さんの名前出さない方が売れます」



年齢を重ねると、子供の時以上に壁を作ってしまうこともある。



「ありますよね。一度、この人苦手だなと感じると、突っつかないようにしたり、もう付き合わなくて良いんだと思ったりするじゃないですか。それも選択肢の一つですが、最初から壁を作らなければ、もっと楽に生きられるなあって、自分自身が感じます。仕事でも『これできるかな』と躊躇しても、やってみると意外と自分にすごく必要なこともある。人との出会いも、物事の出会いも、心を閉ざさないことが大事だなと」



傍から見れば、小説を書くことは大きな挑戦だったはずだ。『押切もえ』という芸能人の実績や知名度があるからこそ、ヒットを期待される。プレッシャーはなかったのか。



「最初の頃も今もないです。新人ですからね。転んだら恥ずかしいですけど、そこまでの期待は感じてない。『永遠とは違う一日』の時、書店員さんに『押切さんの名前出さないほうが売れますよ。良い本です』とまで言って頂けて、すごく有難かった。



ただ、ペンネームで出そうという発想は全くなかったですね。名前小さくしてもいいから、本名でもいいかなって。ペンネームにする良さもあると思うけど……う〜ん。あんまりそこは考えなかった。



名前が知られていて良い点は、ずっと私のことを応援してくれている方が『もえちゃんの本だ』と手に取ってくれる。『自分の励みになる』と思って頂ける。そのために本を書いたり、仕事したりしている部分があるので、とても嬉しいことです」



賛否から逃げない「私の原点」



知名度が高いゆえに、批判を浴びることもある。「モデル出身が小説を書けるのか?」という偏見で捉えられることさえある。



「副業というだけで、すごく言われるっていうのも聞いています。新参者ですし。でも、作品を出した時点で賛否ありますからね。あんまり気にしないですね」



押切は飄々としながらも、表情や喋りに芯を感じさせる。これまで幾多の経験をしてきた者の強さなのか。SNSの誕生で、読者の声がダイレクトに届く時代となったことで、小説に対する厳しい指摘もあるはずだ。



「本は読者のもの。感じ方は自由でいいと思うんですよね。音楽にしても映画にしても、自分の思い出をくっ付けちゃうじゃないですか。私も勝手に『わかる、わかる』と共感します。人それぞれ捉え方は違う。だからこそ、ふわっと曖昧に書く部分もありますし、問いかけて終わることもある。全部押し付けると、窮屈な本になってしまう」



そうはいっても、執筆するからには、自分がどうしても伝えたい思いもあるだろう。



「相手の受け止め方も、こっちの届け方の問題ですからね。あまりにも伝わらなければ、私の責任だと思います。『浅き夢見し』の時は全然そんなこと考えてなかったですね。エッセイの延長で書いていた面もあった。読んでくれた親しい方から『自分らしさがすごく出ていたね』と感想をもらって、それは小説にはいらないなと思った」



自分を客観視し、『小説家・押切もえ』に対する賛否からも逃げない姿勢。これが、押切もえの強さだ。さまざまな顔を持つ彼女に今の肩書きを、敢えて問うてみた。



「知り合いには、“絵と小説を描くことと料理を作ることの好きなモデルです”と言っています(笑)。好きなことを、たくさん盛り込んでいる。モデルの仕事をしたかな…という月もありましたけど、モデル業も辛うじて続けています」



明るく笑いながら答えた後、真剣な眼差しでこう語った。



「私の原点は、応援してくれる方に恩返しをすること。ファンの方に元気になってもらえる仕事がしたい。その方法としてファッションで表現したり、本で文章にしてみたり、SNSで発信したりしています。『こんな私でも、誰かの生活の役に立ちたい』という思いがあるんですね。その軸があるので、毎日のように違う仕事現場でも、あまり違和感はないです」



肩書きに意味はないのだ。あくまで本人が何をするか。モデルも小説も、押切もえの表現方法の1つに過ぎない。そして、小説を書くとなれば尚更、いろいろな仕事をしたほうが役立つのは間違いない。



プロ野球選手の夫には…



一方で、分野が多岐に渡ることで、パンクすることはないのか。



「昨年結婚してからは夫(ロッテ・涌井秀章投手)のサポートを1番に考えています。料理も今まで以上に勉強しています。夫が勝って帰ってきた時は普通に褒めています(笑)。私はすごく野球に詳しいわけではないですから、わからないことは素直に聞きますよ。夫は冷静に答えていますね。



夫へのサポートを最優先させた上で、いろんな仕事を自分の生活に溶け込ませるようにしています。ファッションで表現するのも、本も描くのも、もともと楽しくて楽しくてしょうがなかった。好きなことを詰め込み過ぎて、全部嫌いになってしまったら、もったいない。いかに自分が好きなままでいられるようにするか。今、そのバランスを考え中です。体を壊したら、元も子もないですからね。



もちろん、本も読んでいます。最近は恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』が特に良かった。ピアノコンクールに出てくる天才達が集まって競い合っていく物語。私はクラシック音楽に詳しくないのですが、すごくわかりやすく文章で体験させてくれる本です。文章の凄さ、小説の素晴らしさを改めて感じました。



押切もえが「文章の凄さ」を感じた恩田陸『蜜蜂と遠雷』

押切もえが「文章の凄さ」を感じた恩田陸『蜜蜂と遠雷』




本は全く違う誰かになりきれるし、自分の体験できない人生の断片を知ることができる。すごく深い経験値を得られると思うんです。本は小さい頃から読んでいて、中高生の時は漫画に移行したこともありましたけど、また活字に戻って。働き始めた時、1時間くらい電車通勤をしていたので、いつも文庫本を読んでいました。でも、本好き芸能人の集まるテレビ番組に出ると、私は読んでないなあと思います」



パンクしないように自らをコントロールしながら、インプットも続けて、さまざまな分野で高いレベルを保っていく。同世代の女性が憧れを抱くのもよくわかる。押切は、今後の自分をどうしていこうと考えているか。



「今取り組んでいる仕事を、どんどん深めていけたらと思ってます。自分が楽しんでやって、そして見ている人にも楽しんでもらう。それが出来たら、一番良いですね」



(取材・文:岡野誠)