市民に愛された「大判焼き」の店が再オープン 途切れた「伝統の味」親子の絆で復活(島根・松江市)
高齢の夫婦が営んでいた店は、2年ほど前、体力の限界を理由に閉店、再オープンさせたのはその娘でした。
市民に長年愛された味の復活、背景には娘と両親の強い絆がありました。
焼き上がるあつあつの大判焼き。
次々にお客さんが買い求めていきます。
31日、松江市にオープンした「きむら新月堂」。
はみ出すほどのあんこに、ふわふわのクリーム。
2種類の大判焼きは、初日から大人気です。
来店客:
「(2年前に)閉店すると聞いてとても残念だったが、今回開店すると聞いて本当にうれしい、小さいころから馴染みがある。またひとつ楽しみができた」
このお店は、2年ほど前に一度、店を閉めました。
しかし、店主の木村まりさんの強い思いで再びオープンしました。
きむら新月堂店主・木村まりさん:
「思いを引き継いで。感謝しかないので、それを商品に、あんこと一緒に詰めていきたい」
今から約2年前のこと。
きむら新月堂元店主・木村勝彦さん(当時79歳):
「もう歳だわね、もう限界だが」
妻・啓子さん(当時75歳):
「やっぱり年を取るとできない。やっぱり大変」
勝彦さんと啓子さん、今の店主・まりさんの両親です。
市内の別の場所で「きむら新月堂」を営んでいましたが、体力の限界を理由におととし、76年の歴史に幕を下ろしました。
店オリジナルのつぶあんや生地などの仕込みは、勝彦さん。
そして、焼くのは啓子さん。
50年以上にわたって、夫婦2人3脚で作り続けた逸品の大判焼き。
長年、松江市民に親しまれ、閉店を聞き、名残を惜しむ常連客が殺到しました。
それから約2年。
一度途切れた伝統を復活させたのが、娘のまりさんです。
木村新月堂店主・木村まりさん:
「本格的に継ごうと思ったのは(閉店が決まる前の)5年前くらい。自分の心の中では、もう中学校高校の時になんとかしてあげたいなって思っていました」
小さいころから、仕事場で両親の背中を見て育ったまりさん。
両親が閉店を決めたときに「継ぎたい」と申し出ました。
しかし。
父・勝彦さん:
「本格的にやりたいと言い出して。ずーっと反対して、やっぱり商売は難しい。当たればいいよ。当たらんかったら地獄だからね。こういう小さい店は。休みが無いでしょ。365日仕事、仕事」
松江市内の保険会社で正社員として勤務していたまりさんを、収入が不安定なうえに過酷な環境で働かせたくない、そんな親心から反対しました。
しかし、諦めないまりさん。
父・勝彦さん:「一生懸命でやりたいと言うからね。1からやるなら資金面も自分で1からできるならということで。そしたら商工会議所、銀行、一人で駆け回った」
1年以上かけて両親を説得しました。
後を継ぐため、保険会社を辞め、国と市の補助金や、銀行からの借り入れで数百万円の資金を調達、閉店のときに処分してしまった鉄板などの機材を、新たに購入しました。
そんな、まりさんが、ひとつだけ父の店から引き継いだものが。
父・勝彦さん:
「自分が捨てたものだけんね。そしたらそれが息吹かしたなあと思って」
看板です。
以前の店とまったく同じものです。
勝彦さんは、店を閉めたとき、処分したつもりでした。
娘・まりさん:
「絶対いつか使える、使おうと思っていたので、継ぐことを決めていたので、勝手に裏口に置いておいた」
父・勝彦さん:
「もう何十年、何回も見たけど良いもんだね。よくぞ残してくれた」
福村翔平記者:
「看板もうれしいけど、娘さんの思いもうれしいですね」
父・勝彦さん:
「そんなものはない、普通だわね」
娘・まりさん:
「ないんかい」
思いの詰まった看板は、再び店の目印になりました。
そして、オープン5日前。
父・勝彦さん:
「これが一番大事な作業なんよ。豆のふくらみ具合を見極める」
娘・まりさん:
「今まで、小豆のつまみ食いはいっぱいありましたけど」
両親から技術を引き継ぎました。
勝彦さんからはあんこや生地の仕込みを。
父・勝彦さん:
「こういうのはね、見て覚えるのよ。教えるなんてめんどくさいのはできんけん」
啓子さんからは焼きのテクニックを。
Q焼くときのポイントは?
母・啓子さん:
「ない。上手に焼くからない。教えちょーと叱られーもん」
一時は反対していた両親も今では一番の応援団です。
娘・まりさん:
「親孝行ですよね。老体に鞭でかわいそうだけど。その分一緒にいられる時間も長くなると思うし」
父・勝彦さん:
「感動のドラマ。ここからだわね」
娘・まりさん:
「その分頑張らんといけん」
次の代へと引き継がれる「きむら新月堂」、オープンには、まだまだ健在な両親も手伝いに駆けつけました。
長年市民に愛された大判焼き、一度は途切れた伝統の味が親子の絆で復活。
これからも末永く愛されるのは間違いなさそうです。