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セレクトショップの先駆け〜創業以来初の赤字に


北九州市のアウトレットモール「ジ アウトレット北九州」に大賑わいのアパレルショップがある。通常の2倍以上ある広々とした試着室。鏡もオシャレで、広いから友人や家族と一緒に入って相談ができる。大手セレクトショップ、ビームスの新店舗だ。ただ買い物をする場所ではなく、楽しい時間を提供する場にしようとしている。

広い試着室を考案したビームス社長・設楽洋(71)は「単純に今までの『店で売る』だけではないものが大事になる。そういう時代になると思う」と言う。

東京・原宿で始まり、今や全国に広がったビームス。バイヤーが世界中のアパレルブランドを巡り、買い付けてきた衣料品や雑貨を販売するセレクトショップの先駆けだ。

こだわりの商品も多い。例えば世界501本限定の「リーバイス・インサイドアウト501」(4万6200円)。ごく普通に見える「ポロ・ラルフローレンTシャツ」(1万1000円)は実は日本人の体型に合わせた特注品。ロゴは通常の反対側についている。

ビームスは過去には数々の流行も生んできた。

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1979年ごろに売り出した「BEAMS」のロゴ入りトレーナーは大ヒットし、他の店も真似るようになった。一大ブームを巻き起こしたのが、80年代後半から一世を風靡した紺ブレ。まずビームスがオリジナルを作り、デニムと合わせる着こなしを提案すると、渋カジと呼ばれるファッションブームとなった。

「火付け役のひとつだったと思います。爆発的に売れました」(設楽)

渋谷に遊びに来る高校生たちの間で流行り、若者の定番へと広がっていった。

その後、ビームスは順調に成長。創業以来44年間、黒字経営を続け、全国167店舗まで拡大した。

だが近年、アパレル業界は世界的な大不況に陥る。そこにコロナショックが追い打ちをかけた。「ダーバン」などのブランドで知られるレナウンが破産。他にも「ブルックスブラザーズ」「Jクルー」「ニーマンマーカス」「バーニーズニューヨーク」(いずれもアメリカ法人)といったアパレル関連企業の経営破綻が相次ぐ事態となったのだ。一時は世界的人気となったファストファッションの「フォーエバー21」も経営破綻。

ビームスも2020年、創業以来初となる赤字に転落した。

「『コロナが終われば元に戻る』と思っているアパレルは淘汰されると思います。それぐらい時代はすごく変わっている」(設楽)

そこで設楽は大改革に踏み切る。1年で黒字化してみせたその改革の中身とは――。

社員一人一人にファンを〜「自分好み」を探す店


改革1・来店気分のオンライン接客

午後8時、閉店した店舗にあかりが灯っていた。エレガントな紳士服を集めた「ビームスF原宿」の店内で始まったのはライブ配信だ。

紳士靴の梅雨対策として防水グッズを紹介。クリック一つで簡単に買うこともできる。ライブ配信によるネット通販で、実演販売を自宅で見られるというわけだ。

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一方、原宿の本社でもライブ配信によるネット通販がスタート。出演者は本社勤務の社員たちだ。写真だけの通販サイトより商品のことがよく分かる。さらに客からの質問にも親切に応じる。来店客の減少をこんなやり方でカバーしたのだ。

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改革2・一人一人にファンを

店ごとに扱う商品が異なるビームス。「ビームスボーイ原宿」は「メンズの服が好き」という女性のためのボーイッシュな服を集めた店だ。営業中だが、販売スタッフの林愛実が何やら服を選び始めた。数着を手に取り試着室へ。着替えると、外に出て撮影する。自分がモデルになり、考えたスタイリングをネットに投稿。「こんなファッションはどう?」とアピールしているのだ。「毎日投稿するように心がけています」と言う。

ビームスはコロナ禍に自社サイトを開設。店舗スタッフに限らず、社員、アルバイトは誰でも投稿できるようにした。もともとファッションが好きな人ばかり。ここぞと、それぞれの「個性が生きる着こなし」を発信するようになった。

その結果、スタッフのファンになる客も。サイトにはスタッフの身長を明示してあるから客もイメージしやすい。スタッフ一人一人にファンを作る戦略が売り上げの増加につながっている。

「嬉しいですね。『これを見た』と画像を持ってきてくださるとやりがいになります」(「ビームスボーイ」品川智美)

ファンを作る戦略はスター社員も生んだ。その一人が三條場夏海。入社7年目で、社内コンペを勝ち抜き「JOIEVE(ジョエブ)」というレーベルを立ち上げた。自らモデルも担当。SNSのフォロワー数は9.5万人と、ビームス社員の中でも抜きん出ている。

彼女も定期的にライブ配信を行い、季節に合わせた商品をアピールする。するとすぐさま「最高」「欲しくなりました」と反応が。若い女性たちから絶大な支持を集めているのだ。

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「『ビームスの会社員、まだやっているんだよね?』とたまに言われることがあります。同じような人が誰一人いない。一人一人の個を認めるのがビームスの良さです」(三條場)

三條場は去年、写真集まで発売。全て私服で100通りのコーディネートを紹介した。もはやインフルエンサーだ。

「一人一人にファンがいて、『この指とまれ』でお客が集まるような集合体にしたいと思っています」(設楽)



元はダンボール工場から...ビームス創業物語


設楽は1951年、東京・新宿の生まれ。父の悦三はダンボールを作る小さな町工場を営んでいた。1975年、大学を卒業した設楽は大手広告代理店に入社。するとほどなくオイルショックで紙の値段が高騰。父親のダンボール工場を直撃し、経営は傾いてしまう。

ある日、母親とともに呼ばれた設楽は、父から「若者向けのファッションの店を始めようと思う」と聞かされる。母親は猛反対、設楽にとっても寝耳に水の話だった。

「最初はびっくりしました。父もファッションが大好きでしたが、プロでもないし、ダンボールの箱を作るメーカーをやっていたわけですから」(設楽)

設楽は「どうせやるならアメリカのライフスタイルを売る店にしよう」と提案。手伝うことになった。

「自分が憧れていたアメリカのライフスタイル、ホームドラマや映画で見て自分が欲しくても買えない文化があったので」(設楽)

サラリーマンをやりながら新しい店を作るという二足のわらじだった。1976年、原宿を出店場所に選び、いよいよ船出。創業の地は現在の「ビームス原宿」の一部。八百屋さんが建てた雑居ビルの6.5坪というスペースで、店舗はアメリカ西海岸の学生の部屋をイメージした。店名は父親のダンボール会社「新光」の「光」の文字からビームスと名付けた。

「今では笑い話ですが、アメリカで『ニケ』という運動靴が流行していると聞いて、探して店に並べてから、これは『NIKE(ナイキ)』と読むんだと。それぐらいモノと情報がなかった時代なんです」(設楽)

アメリカの最先端のファッションを持ち込んだ、他にはない店。最初はスタイリストやデザイナーなどプロが注目し、その評判が都会の若者も呼び込んだ。

1983年、広告代理店をやめてビームス一本に。88年には代表に就任した。

設楽は客のニーズの変化に合わせ、子供服からゴルフウェアまで30以上のレーベルを開発。さまざまなビームスを作っていった。

一方で異業種とのコラボ商品も手がけるようになる。例えば、パナソニックと手を組んで作ったポップなデザインの「電動アシスト自転車」。

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「電動アシスト自転車はその当時、ママチャリみたいなものしなかった。かっこいいマウンテンバイク風のものを作った第一弾です」(設楽)

カップ麺から自動車までさまざまなコラボ商品を開発。年間500件以上のオファーが来るようになった。

洋服を捨てない〜在庫がユニフォームに


今、設楽が強く意識しているのは、地球環境への配慮だ。

「廃棄しない、焼却しない、無駄にしないということが重要になってくると思う」(設楽)

設楽が掲げた資源を無駄にしないという方針。その鍵が自社の物流倉庫にある。全ての商品に電子タグをつけ、常に在庫を管理。売るタイミングを逃した商品もここで保管している。ビームスは2020年、「衣類の廃棄ゼロ」を宣言。捨てることをやめたのだ。

そのキーマンである水上路美は、在庫品をリメイクする「ビームス・クチュール」というレーベルのデザイナー。手作業で加工し、他にはない一点物を生み出している。

この日は、大手化学メーカーの旭化成ホームプロダクツから、イベントで使うユニフォームの発注があり、在庫品のポロシャツを使うことにした。穴があれば補修して使用。こうした訳あり品や、店頭の売れ残り品などだから柄もバラバラ。着るのは「ジップロック」の営業チームだという。

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「営業先で『何ですか、それ?』と突っ込まれる制服がいいなと思って。そこでコミュニケーションが生まれたらいい」(水上)

後日、完成したサンプルが送られてきた。あえて元々のポロシャツのロゴの上に「ジップロック」の刺繍を施し、再生した服であることを強調した。

「手作業でやっていることが伝わって大切にしていただいて、その分、捨てる服が減るといいなと思っています」(水上)

世界遺産とコラボ〜日本の魅力を再発見


世界遺産にも登録されている京都・西本願寺。浄土真宗本願寺派の本山となっているこの寺に「ビームスジャパン西本願寺」があった。西本願寺とコラボした「限定Tシャツ」(6380円)に、刺繍入りの「畳ベリ」で作った「カード&コインウォレット」(990円)など、洒落の効いた商品が並ぶ。

「ビームスジャパン」というレーベルでは、伝統工芸品などにスポットを当て、日本の魅力を国内外に発信。地域を盛り立てようとしている。

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「ビームスは今やファッションの分野にとどまらず、食や工芸など日本の伝統文化を幅広く取り入れながらブランディングしている。本願寺の伝統文化の新たな魅力を引き出していただけるのではないかと期待をしています」(「龍谷山 本願寺」伊藤建成さん)

世界遺産とのコラボでは、去年、広島・安芸の宮島にも出店。また三重の伊勢神宮や長野は善光寺の門前にも店を出した。観光名所から引っ張りだこなのだ。

4月、地方コラボのヒットメーカーとなっているビームスジャパンの鈴木修司がJR岡山駅に降り立った。向かった先は学生服の老舗メーカー「菅公学生服(カンコー)」。コラボの打ち合わせだ。

日本の学生服の7割近くは岡山県のメーカーが作っており、「カンコー」は年間700万着を生産する大手だ。

ビームスは去年、「カンコー」とコラボし、セーラー服をモチーフにしたカードケースや、スカートのプリーツ生地を使ったトートバッグなどを期間限定で販売。今後の定番化を目指していた。

このコラボはもともと岡山県からの依頼による地域活性化プロジェクトの一環。カンコーの他にも、地元アパレルメーカーと手を組んだ岡山デニムのキーホルダーや、帽子メーカーとは桃太郎に引っ掛けた桃の小物入れなどを作った。

「ちょっとクスっと笑える、お客様の関心を引けるものがあると、全体の雰囲気が柔らかくなるんです」(鈴木)

去年の大成功を受けて今年も岡山県とのコラボ・プロジェクトが始動。この日は新たに参加を希望する企業への説明会が開かれ、およそ40社が集まった。

「私たちの持っているノウハウを盗んでいただいて、ステップアップの踏み台にしていただきたい」(鈴木)

参加者からは「新しい日本酒の開発を仕掛けているのですが、ビームスさんは若い方への取り組みをしているので何かヒントをいただければ」(造り酒屋)、「ビームスさんの商品開発の方にアドバイスをいただいて、海苔だけどみんなを楽しませる、地域のためになる商品を作っていきたい」(海苔メーカー)と、熱い期待が寄せられていた。

※価格は放送時の金額です。

〜村上龍の編集後記〜
ビームスはやっていることが派手に見えるが、実は地味なことをコツコツとやってきた。日本人の好みももちろん考えたし、和風も取り入れてアレンジもした。「日本の若者の風俗・文化を変えよう」というベースが生きていることは何でもやってきた。年間500件を超える相談を企業などから受けているが、それは信頼されているからだ。リーダーの設楽さんは、世の中が変わる瞬間に立ち会うことが大好きなのだそうだ。大好きなことは増えるばかりだろう。

<出演者略歴>
設楽洋(したら・よう)1951年、東京都生まれ。1975年、慶應大学経済学部卒業後、電通に入社。1976年、父が創業した新光の新規事業ビームスの立ち上げに参加。1982年、ビームスを設立(分社化)。1983年、電通を退社。ビームス専務就任。1988年、社長就任。

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