9月30日(金)に放送された「ガイアの夜明け」(毎週金曜夜10時)のテーマは、ガイア20周年企画第6弾「JAL日本航空はいま〜稲盛改革を継ぐ者〜」。
「ガイア」は、2008年のJAL経営危機から破綻、再建までを追い続けた。新型コロナという未曽有の危機にどう立ち向かうのか...。JALの最前線を取材した。

稲盛氏と「JALフィロソフィ」社員の意識の変化


2010年、日本航空は経営破綻。その負債総額は2兆3千億円以上。金融機関を除くと、戦後最大の規模だった。その再建を託されたのが稲盛和夫さん(※当時78歳)だ。名経営者とはいえ、航空業界は初体験。稲盛さんは、本社、空港、地方支店などを2カ月に渡って見て回り、その結果として発せられた言葉は、衝撃的なものだった。

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「ちょっと言葉が下品かもしれませんが、JALには商売人という感覚を持った方があまりにも少ない。そういう考え方では、八百屋さんの経営もできませんよ」

再建には多額の公的資金が投入されることになり、JALにも身を切る組織の見直しが求められた。当時4万8千人以上いた社員のうち、3分の1にあたる1万6千人ものリストラを断行。職場の花形・パイロットも例外ではなかった。

日本航空の再出発にあたり、稲盛さんが残った社員一人ひとりに求めたのは、考え方の改革とそれをやり抜く覚悟。社員の意識を変えるため、"リーダー教育"と呼ばれる研修が行われ、機長やチーフパーサーなどの部課長クラスが集められた。

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「売り上げを最大にして、経費を最小にする。その差が利益ですから。非常に難しい厳しい交通インフラ事業を経営しながら収益を上げ、無事故で安全に運営する必要がある」と話す稲盛さん。

これまで、仕事に対する姿勢はどうだったのか...。JALに残った社員たちは厳しく問われた。そして作られたのが、「JALフィロソフィ」だ。例えば、"正しい考え方を持つ""心をひとつにする"。社員全員が一体感を持ち、お客さまに最高のサービスを提供することを改めて約束した。

国を挙げてのバックアップと稲盛改革により、日本航空は急速に業績を回復。破綻直前は500億円の営業赤字だったが、わずか3年で過去最高の営業黒字2000億円を達成した。

2022年9月、羽田空港にいる運航企画部 部長・南正樹さん(54歳)を訪ねた。実は「ガイア」は、破綻前の2008年、花形機ボーイング747の機長であり、後輩を指導する教官だった南さんに密着取材していた。

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破綻後、JALは経営改善のために赤字路線を減らし、航空機を処分。売却する機体は全てJALのマークを白く塗りつぶさなければならず、南さんが乗っていたジャンボ・ボーイング747は全機売却された。

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その頃、南さんは操縦する機体がなくなったパイロットを別の機種に配置転換させる仕事を任されていた。中には、辞めていく先輩パイロットも。南さんが社内改革に前向きに取り組めたのは、稲盛さんが残した哲学「JALフィロソフィ」のおかげだったという。

「何か判断をしたい時、これを見ながら振り返ったり、考えたりしています。よくみんなが引用するのは、"土俵の真ん中で相撲を取る"。常に締め切り間際に切羽詰まって仕事をするのではなく、もっと余裕を持って、土俵の真ん中で相撲を取るように仕事をしなさい、とか...。稲盛さんは本気だった。こっちが中途半端な気持ちだと怒鳴りつけられる」。

改革で揺れる社内で、3万人を超える社員一人ひとりの心の拠りどころになった「JALフィロソフィ」。今も受け継がれる「フィロソフィ勉強会」には、この日もオンラインで様々な部署から100人近い社員が参加していた。

「ガイア」はさらに、フライトシミュレーターと呼ばれる専用マシンを使って行うパイロットの定期訓練に密着。稲盛さんが植え付けた意識改革は、パイロットの訓練にも大きな影響を与えていた――。

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整備出身のトップ"安全"への誓い


1985年8月12日、羽田から大阪・伊丹へ向かっていた日航ジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に墜落。犠牲者は520人、単独の航空事故として史上最悪の惨事になった。

羽田空港に隣接するJALの施設「日本航空安全啓発センター」。2018年に就任した「日本航空」赤坂祐二社長は、入社後、長きにわたって整備畑を歩み、2006年にできた施設のセンター長を務めた経験も。
毎年8月12日に御巣鷹山に登り、慰霊碑に手を合わせることは、歴代JALトップの務めであり、赤坂さんは春夏秋と年3回慰霊碑を訪れていると話す。

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全社員が携帯している安全憲章を見せながら、「安全とは命を守ることである。我々は"現地・現物・現人"という言い方をしていますが、ここ(安全啓発センター)は、後世に御巣鷹山の教訓を残していく鍵だと思う」と話す赤坂さん。

遺品も展示されており、腕時計の針は事故のあった午後6時56分で止まったまま。
教訓を受け継ぐため、関連会社も含め、日本航空の若手社員たちは、必ずここで研修を受ける。いまや、事故当時に在籍していた社員はJAL全体の2%未満になったが、決して風化させてはいけない出来事なのだ。

再浮上へ コロナ禍の奮闘


2020年、春。新型コロナの感染拡大で空の移動が厳しく制限され、再び航空業界に衝撃が走った。破綻から10年、再びJALが迎えた危機。2020年6月、赤坂さんは、コロナで便数を減らした自治体を訪れていた。

北海道東部に位置する北見市。空の玄関口は女満別空港で、札幌から300キロも離れた北見市にとって飛行機は、欠くことのできない交通インフラだ。

かつての破綻では、地方路線から次々と撤退したJAL。赤坂さんは、「コロナの後は、地方の価値が大きく変わるに違いない。地方の良さをどんどん発信し、航空事業としてお手伝いしていく」と話す。

そこで始めたのが、「JALふるさとプロジェクト」。仕事が減った客室乗務員ら社員たちが、自らのふるさとの魅力を紹介する取り組みだ。

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社員一丸となってのこうした取り組みにより、国内線の利用客数で水をあけられていたライバルANAに迫ったが、依然として業績は厳しい状況。2021年度の最終赤字は1770億円となり、2期連続の巨額赤字を計上した。

2022年9月7日、羽田空港。この日から水際対策が緩和され、帰国時のPCR検査も不要になり、国際線ターミナルは久々に活気づいていた。
緩和の発表によってJALの国際線の予約は順調に伸びていたが、リモートワークが定着したいま、出張需要がなかなか戻らず、復活へ向けた模索が続く。
その鍵を握るのは中国で、JALはコロナ前、日本各地から中国の主要都市へ週98便の直行便を飛ばしていたが、その復活のメドが立っていない。

JALの上海オフィス。客室乗務員の史冠华さんも、国際線の復活を願う一人。2003年にJALへ入社後、日本やアメリカなど主要な国際路線を担当していたが、コロナ以降は仕事が激減し、約220人いた同僚は約150人に。史さんは、研修などを繰り返す毎日だ。

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2022年8月上旬、羽田近くにあるJALの研修施設に史さんの姿があった。世界的規模でコロナへの対応が大きく変わる中、いつでも乗務に復帰できるよう客室乗務員の仲間たちが集められたのだ。ここで改めて訓練を受けるが、この日は、日本人に交じって6人の中国人乗務員が参加。その様子を「ガイア」のカメラが追った。

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