3月10日(金)に放送された「ガイアの夜明け」(毎週金曜夜10時)のテーマは、ガイア20周年企画 第11弾「『3.11』を忘れず今を生きる」。
あの「3.11」から、12年が経とうとしている。被災地では、単なる復興だけではなく、明日を見据えて動き始める人々がいた。
また、復興に向けて闘っていた人々は今、何をしているのか...。あの日を忘れず、今を生きる人たちの闘いを追った。

終着駅はない 今日も明日も走り続ける"語り部"バス


宮城県・南三陸町。津波で壊滅的な被害を受けた町は、海を隔てるように堤防が作られ、住宅地は高台へと移転、人口は約1万2000人(2023年2月時点)と、震災前の7割ほどに減っている。

gaia_20230310_01.jpg
そんな南三陸で50年続く「ホテル観洋」は、見晴らしのいい244の客室に三陸の海の幸、海を一望できる露天風呂が自慢の宿。女将の阿部憲子さんは、あの日、ホテルのロビーから津波を見ていた。

「土煙が街を覆って、津波が襲ってくる状態だった。海を見ると町が流されていくような...」。

津波は建物の2階まで到達したものの、ロビーがある5階から上はほとんど被害がなかったという。その後は避難所として地域の住民を受け入れ、南三陸の人たちを支え続けた。

gaia_20230310_02.jpg
女将の阿部さんが、ホテルで毎朝欠かさずに見送るのは、震災の翌年から始まった「語り部バス」だ。

「2011年3月11日。東日本大震災という大きな地震と大きな津波で何もかもが変わりました」。

ホテルの従業員が中心となり、延べ44万人にあの日の出来事を語り継いできた。ガイドを務める「ホテル観洋」従業員の伊藤俊さんも被災した一人だ。

gaia_20230310_03.jpg
「3.11に帰って、自分があの日のことを思い出すというか...。つらいことはつらいけど、そこに大事なこと、伝えたいことがいくつもある。伝えることは簡単ではないけど、続けることに意味があるかなと思う」。

gaia_20230310_04.jpg
バスで巡るのは赤い鉄骨の旧防災対策庁舎。周りは整備されたが、この建物だけは震災を忘れないようにと残された。ここへ来ると、伊藤さんが必ず紹介するものがある。

「ただいま津波が襲来しています。ただいま津波が襲来しています」。

声の主は役場の職員・遠藤未希さん(当時24歳)で、ここから住民に避難を呼びかけ続けた。「もう1人、遠藤さんの上司の三浦毅さん、役場の課長補佐の方。2人が代わる代わるマイクを握って放送を続けた結果、高台に逃げた人は助かりましたが、その2人は避難できず、この場所で津波に流されました」。三浦さんは今も行方不明だという。
伊藤さんは震災の出来事に、「つらさ悲しさはあるけど、向き合うのも大事」と話す。

次にバスが向かったのは、"言葉にしないと素通りしてしまう場所"。
「ここにあった戸倉小学校は、学校ごと津波に飲み込まれていった。先生方の判断で、学校の屋上ではなく、高台に避難したのでみんな助かった。守れたものがあること、奪われない、失わない...それができるのも人。私たちがこれから先、未来に向かって伝えていきたいこと」と伊藤さん。

1月上旬。女将の阿部さんは、酒屋さんや商店を巡り、町の人々にも「語り部になってほしい」とお願いした。

gaia_20230310_05.jpg
「私たちのこういう出来事は真のストーリーですから。経験が浅い人にとっては、その話が宝物ですから」。

町の人たちにとってはつらい経験だが、果たして、阿部さんの思いは届くのか。



"住民ゼロの町"から世界に挑む! 町工場の糸が紡ぐ復興物語


岐阜・安八町。この町にも、あの日を忘れずに今を生きる人がいる。
「浅野撚糸」の社長・浅野雅己さん(62)。1967年創業の「浅野撚糸」は、糸に撚りをかけた"撚糸"を手掛ける町工場。浅野さんは5年かけて独自に新たな撚糸を開発し、「スーパーゼロ」と名付けた。
そのスーパーゼロで作られたタオルは、一般的なタオルの1.5倍の吸水性を持つ。
このタオルが多くのリピーター客を生み出し、工場に隣接するショップには観光バスが訪れるほどの人気に。一時は倒産の危機にあった「浅野撚糸」は、今や年商約20億円を誇る。

gaia_20230310_06.jpg
去年11月。「浅野撚糸」の社員旅行に同行すると、向かったのは岐阜から遠く離れた福島・双葉町。双葉町は福島第一原発の城下町で、震災前は約7000人が暮らしていたが、2011年の原発事故で全町民に避難指示が出て以来、11年半に渡って住民ゼロの街に。

社員が乗った観光バスが到着したのは建設中の巨大な施設。実は浅野さん、双葉町に、自ら開発した糸「スーパーゼロ」の名前を冠した工場を作っていた。広さは本社の3倍もあるという。

gaia_20230310_07.jpg
それにしても、なぜ岐阜の会社が双葉町に工場をつくるのか。実は浅野さんは福島大学の出身で、福島は青春を過ごした思い出の場所。

gaia_20230310_08.jpg
「2011年の災害から何もできなかった。駆けつけることすらしなかった。自責の念が心の奥底にあった」。浅野さんの12年越しの恩返しだったのだ。

去年8月、双葉町の一部で避難指示が解除され、再び住むことができるようになったが、町の約85%は依然として帰還困難区域のまま。現在住んでいるのは約60人。双葉町の伊澤史朗町長は、「住民が戻る前に雇用をつくってしまおうと。製造業が一番雇用が期待できる」と話し、「浅野撚糸」に熱い期待を寄せている。町の希望を一身に背負った浅野さん。今回のプロジェクトに、国の補助金と合わせて約30億円を投じていた。

去年12月、双葉町。新工場のフロアには撚糸機が入り、試運転が始まっていた。
この工場で年間500トンの糸を生産する予定。浅野さんは、増産する糸の売り先を探す。
そして選んだのが世界有数の衣料品輸出大国であるベトナム。
浅野さんは、ベトナム最大のタオルメーカーに双葉の糸を売り込もうとしていた。

さらに浅野さんは新工場の中にショップやカフェをつくり、外から双葉町へやってくる人を増やしたいと考えていた。そんな浅野さんが向かったのは、福島第一原発が見える高台だった。そこにはある思いが・・・。

gaia_20230310_09.jpg
この他、番組がこれまでに取り上げた復興に向けて闘っていた人々は今、どうしているのか...その後をカメラが追った。

この放送が見たい方は「テレ東BIZ」へ!

テレ東BIZ
見逃し配信や関連動画は「テレ東BIZ」で配信中!