2018年12月2日、1人の偉大なるレジェンドが現役生活に幕を下ろした。日本サッカー史に名を残す伝説的なGK、川口能活だ。

1994年に横浜マリノス(現横浜F・マリノス)に入団し、プロ2年目にデビューを果たすと、そこからは一気に飛躍。ワールドカップには日本が初出場した1998年のフランス大会から4大会連続で選出され、イングランド、デンマークと欧州でのプレーも経験。国内でも横浜FMを始め、ジュビロ磐田、FC岐阜、SC相模原とJ1からJ3まで、3つのリーグでプレーした。

記憶に残るシーンも多い。1996年のアトランタ・オリンピックでの“マイアミの奇跡”や、2004年のアジアカップでのPKストップを始め、数々の名場面に川口能活ありという印象が強い。

25年に渡る現役生活で川口能活が見て来たものとは。日本で最も多くの経験を積んできた守護神のサッカーに対するひたむきな想いに迫った。

取材・文・写真:菅野剛史

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◆ワールドカップは観るものだと思っていた

──J1からJ3、海外クラブ、日本代表と様々な舞台で活躍されて来ましたが、改めて現役生活を振り返っていかがでしたか

川口能活さん(以下、敬称略):全てにおいて、サッカーのために全てを懸けて来ました。そこに楽しみもありましたけど、プレッシャーもあったり、大変な時もあったので、現時点ではプレッシャーから解放された安堵感がありますね

──川口さんと同世代ということで、山田プロデューサーの中で一番印象に残っている川口さんのシーンはどこでしょうか?

山田理一郎プロデューサー(以下、山田P):やっぱりアジアカップですね。PK戦の(2004年)。楢崎(正剛)選手とポジション争いが結構ある中で、日本代表のGKと言えば、タイプが違う楢崎、川口といて、僕的には大事なというか、とんでもない逆境の中で止めて勝ったというのは、日本代表のGKは川口となりましたね。あんなことされたら、しょうがないじゃんというか(笑)俺が監督だったら、使わざるを得ないよねという感じのインパクトでした

ただ、その前からPKのイメージはありました。高校サッカーの時から。同世代の同級生で、あんなGKでめっちゃPKを止めて、女の子にモテるわけじゃないですか。ムカつきますよね(笑)

ムカつきますけど、やむを得ないです。カッコいいですし。GKにとってはPKは見せ場じゃないですか。PKを止める川口選手。メンタルの強さを感じますね

宮崎伸周ディレクター:僕は清商(清水商業高校)で出て来たときのキャプテンシーですね。キャプテンでGKというのを高校サッカーで見ていて、後ろでキャプテンシーを発揮していたので、そこから夢中でしたね

Jリーグに入っていって、松永(成立)選手の下で、GKのイズムとかを学んでいるのかなと。そんな中で短い時間でスタメンに入って、気がつけば日本代表というサクセスストーリーの階段を上る早さ。見ている側も一緒に成長しているなという感じですね

山田P:あの時の監督はソラーリさん(※レアル・マドリーのサンティアゴ・ソラーリ監督の叔父)ですよね?外国の監督が見るとフラットなんだなという印象でしたね。松永さんがいて、川口さんがいて。中々日本人の監督だと、そういったこと(GKの世代交代)はできないですよね

──川口さんの中で最も印象的な試合やシーンは

川口:1つは難しいですね。アトランタ・オリンピックのブラジル戦やアジアカップのヨルダン戦はそうですが、その間に2000年のアジアカップのファイナルがありました。レバノンでやったサウジアラビアとの決勝だったんですが。その試合は自分の中で印象に残っています

決勝まで、実はそれほど出番がなかったんですが、決勝のサウジアラビア戦は1点獲ってから猛攻を受けました。その猛攻を凌いで、自分がセーブを繰り返してタイトルを獲れた。自分の中では忘れられないゲームの1つですね

──日本代表として初めてワールドカップに出られた時の初戦はいかがでしたか

川口:自分は若かったので、日本代表でプレーすること、選ばれるために必死のアピールを続けてトレーニングを続けていました。ワールドカップの出場を決めた直後は興奮があったんですが、そこから先はワールドカップに選ばれるためにとにかく必死でしたので、あまりワールドカップを迎えるという気持ちの整理はできていませんでした

そして初戦、アルゼンチンの選手たちとグラウンドに入って行くじゃないですか。左を見ると、水色と白の縦縞のユニフォームを見て、これがアルゼンチンだと。しかもワールドカップという舞台で、アルゼンチンが横にいるということで、初めて実感しました。夢のようでしたね

ワールドカップって正直観るものだと思っていました。雲の上の存在でしたから、自分がやるとは夢にも思っていなかったです。アルゼンチンのユニフォームを見たときに、初めてワールドカップに出てると実感して感動しました

──そこを含めて4度ワールドカップのメンバーに選ばれています。4度のワールドカップで大きく変わったものはありますか

川口:自分が出場したフランス大会(1998年)、ドイツ大会(2006年)というのは、もちろん自分がプレーしたということに対しての思い入れはありますが、代表チームとしては結果が残せなかったです。ただ、自分がピッチに立っていない大会、日韓大会(2002年)、南アフリカ大会(2010年)。特に南アフリカ大会は、自分が出場機会を得るというより、チーム全体を見る立場として、臨むにあたってはモチベーションは非常に難しかったです

ただ、過去のワールドカップの歴史を見た時に、自分がやらなければいけないことをしっかり整理して、ワールドカップに臨んで、チーム全体の雰囲気を戦う集団にするために努力し、選手たちは感じてくれました。選手なのでプレーできない悔しさはありましたが、サッカー人として新しい引き出しを増やせたのは、収穫ある大会でしたね

──その経験は、J2でのFC岐阜やJ3でのSC相模原でプレーする際も活きてきましたか

川口:非常に難しいのは、選手ですからピッチに立てないのは非常に悔しいんですよ。ピッチに立っている瞬間が一番幸せですし、勝利の瞬間をピッチで過ごすのが一番幸せですが、サッカーはそれだけではないです。出る選手、出ない選手、メンバー外になる選手も含めて、サッカーです。それは代表チームで学びましたので、J2の岐阜やJ3の相模原でも活かせましたね

◆勝てないと思った唯一の日本人GKは前川和也さん

──現役時代はストイックな生活を送られてきたと思います。最も意識していたことはなんでしょうか

川口:食事の面は特に油分は気にしていましたね。甘いものをなるべく取らない食事の節制。3食しっかりとって、休養もしっかりとって、サッカー中心の生活をすることは常に心掛けていました

──その生活が、長い現役生活に繋がったのでしょうか

川口:長く続けるためという風には思っていませんでしたが、自分がしっかりとしたコンディションを維持するには、サッカー中心の生活をしないといけないです。しっかりとコンディションを維持しないと、トレーニング、試合に臨めないと思っていました。そんなに甘い世界じゃないので、そこは意識していましたね

──現代のサッカー界ではGKの役割が大きく変わってきましたが

川口:自分のプレースタイル、これだけは負けないということはしっかり求めながら、現代サッカーや監督に求められるプレーの質は常に追求してきました。ただ、やっぱり自分の中でこれは負けないというものを持ってなくてはいけない。Jリーグでも代表でも、海外でプレーするにしても、そこは揺るぎない自信を持つことが大事だと思います

──川口さんのイメージと言われると何を思い浮かべますか?

山田P:PKのイメージですけど、ちょうどGKに足元の技術や攻撃の起点といった、GKを使ったプレーを求められ始めたところかなと。それまでは、バックパスをキャッチして良かったんですからね

川口:そうなんですよ。若い選手に言っても「は?」っという感じなんですよね

山田P:GKそうやって変わっていく境目だったのかなと思います。川口さんも観ていると今までのGKと違って、そういったプレーができるスタートかなと。PKストップのイメージは大きいですが、Jリーグが始まってGKが近代的になっていくところの人かなと思います。僕はサンフレッチェ広島ファンなので、前川(和也)さんを思い出しますけど、やっぱり前時代的だったと思います。止めるのは止めますが、オールラウンダーという感じではないですよね

川口:唯一、この人に敵わないと思った選手は、前川さんなんです。初めて日本代表の合宿に行った時に、前川さん、下川(健一)さん、僕だったんです。もちろん下川さんも凄いGKなんですが、前川さんの一対一の圧力とセービングの迫力を観た時に、まともに勝負しても勝てないなと思った唯一の日本人のGKです
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──若いGKの選手と一緒にプレーするとGK像の変化を感じることはありますか

川口:GKに求められることが増えているので、どうしてもミスが起こってしまう。GKに求めるものが少なかった時より、リスクを負わなければいけないので、失点に繋がるミスがどうしても増えてしまうことは否めないです。選手たちの能力だけでなく、サッカーのスタイルもそうなって来ています

でも、GKは最後の砦ですし、そういったミスをなるべくしないような。仮にミスをしたとしても、平然としていられるような振る舞いは大事かなと思います。ただ、以前よりも失点に繋がるミスは増えてしまっていますね

山田P:守っていればいいということではないですからね。(マヌエル・)ノイアーだって、前に出てミスしますからね

川口:でもGKは最後の砦なので、失点しないことはまずは大事ですね

山田P:『サカつく』シリーズでもそうですけど、結局FWとGKをまずは獲るというところからスタートするんですよね。ゲームっぽいなと思うんですけど、現実でもやっぱりそうだなと思います。最後は個人でなんとかするということですね。個人の力でなんとかなっちゃう、なんとかするという感じは特殊ですよね。メンタル的にもFWやGKは特殊じゃないとできないのかなって思うこともあります

川口:いくら組織的なディフェンスを敷いても、最後の一対一はGKでしか防げないんですよね。そこはGK個人の能力と、俺が守ってやるという強さですね。GKは点を取られてもなんだよっていうか…

山田P:川口さんは、何かの試合で明らかに自分のミスなのに、怒ってボールを返していて、それが大事なんだろうなと

◆理想は地域に愛されるクラブ

──『サカつく』はチームを経営するというゲームですが、相模原では高校の先輩でもある望月重良さんが代表を務め、日本代表で一緒にプレーした高原直泰さんが沖縄でチームの代表を務めています。指導者という道に興味があると引退会見でおっしゃっていましたが、クラブ経営に興味があったりはしますか

川口:現場をまずはやりたいんですが、クラブを作る、フロント側になって、選手を集めたり、クラブ経営をしてみたいというのはありますね。それはサッカーの専門分野とは違う専門分野なので、いちから勉強しなくてはいけないんですけど。クラブを作って、選手たちを集めて、そのチームが強くなっていくというのは楽しいですよね

山田P:JFLからJ3に参入するだけでもかなり大変ですもんね。岡田(武史)さんも試行錯誤されているのを見ますしね。『サカつく』というゲームがあってという訳でないですが、Jリーグに合わせてゲームを作っていたので、何もないところにクラブにできてJリーグに参加する。みんなが夢見てやっていますもんね

今だと、J3があったとしても、それに参入することも大変ですし、維持することも大変ですし、上に行くということも大変ですね。『サカつく』も割と大変なゲームですけど、現実はたくさんやらなければいけないことがあるので、大変だなと思いますね

川口:やっぱりお金が必要ですし、そのためには行政の方の協力、スポンサーの方々に挨拶回りをするとか。地域に根付くために選手を派遣して活動するとか。観客動員を増やすとかスポンサーを獲得するとか、色々なものを全てやらないとクラブ経営は上手くいかないですね

山田P:長続きしないですよね

川口:お金があるだけでは長続きしないですね。地域に密着しないと、クラブは長続きしないですね

──『サカつく』もその辺りを結構考えさせられるゲームですよね

山田P:Jリーグのコンセプトがあって、それを体現しているゲームなので、『サカつく』が特殊というよりは、Jリーグがそういったものを目指しているというのがあります。逆に海外の方は、『サカつく』みたいなゲームの面白さがわからないみたいなんですよね

海外にはすでにクラブがもうあって、誰もが自分のクラブがある感じなんですよね。オリジナルクラブができて、世界を目指すというロマンがわからないんですよね。アジアの方々は、そういったものがないので、ロマンや夢と言ってくれますけどね。そう言った意味で、Jリーグの思想は素晴らしいですよね

『Jリーグ百年構想』というのがあって、草の根からサッカーを盛り上げていって、上を目指すというのはお金がいくらあってもできないことです

川口:下のカテゴリに行けば行くほど、そういった活動の大切さを痛感しますね

山田P:僕らはJリーグ世代ですが、その子供たちが中間的な層で、Jリーグがよく分からないなっていう感じなんですが、その下になるとクラブの練習に関わってたりするんですよね。あるいは、父親がどこかのファンで一緒に観ているとか。Jリーグもそういったサイクルが繰り返されていって、ファン層が大きく広がるんだろうなと思います
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──海外クラブからJ3クラブまで、様々なタイプのクラブでプレーされてきましたが、理想のクラブ像はありますか?

川口:やっぱり地域に根付いて、地域に愛されるクラブ。そして、クラブの生え抜き選手は絶対に大切にしなければいけないなと思います。そのクラブの象徴でもある選手は絶対に必要だと思います。生え抜きで地元出身の選手というのが、クラブに対する忠誠心も一番ありますし、そういった選手がいれば、クラブがまとまるんですよね

──『サカつく』は施設なども作れますが、こういった施設がほしかったというものはありましたか?

川口:スタジアムとトレーニング場とクラブの事務所。これが1つになっていることが一番ですよね。日本の場合は土地の問題もあって、なかなか1つにすることは難しいです。ただ、それが1つになれば全てのことが迅速になりますし、現場とフロントの一体感も生まれてきます。常にコミュニケーションが取りやすくなる。その一体感はクラブが成長して行く上で大事だなと思います

山田P:やっぱりヨーロッパでの経験がそう思うところですか?

川口:僕がいたノアシェランは歴史は浅いんですが、スタジアム、トレーニング施設、それからクラブ事務所が1つのところにまとまっています。スタジアムの中にホテルがあって、アウェイのチームや旅行に来ている方々が泊まって試合を観る。全てのことが1つのコミュニティで成立するんですね

山田P:ビジネス的にみても、総合型スタジアムみたいな

川口:駅からでもノアシェランの場合は歩いて10分ぐらいなので、駅からの移動も可能ですね

山田P:(広島)ビッグアーチなんかは、登山かみたいな感じですからね(笑)

川口:アクセスも良くて、1つになっているのはハード面においては理想ですね。クラブハウスがあることが前提ですけど。クラブハウスがないクラブも経験しているので、まずはクラブハウスですね

◆中田英寿は別格だった

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──『サカつく』では選手を集めてチームを作ることができますが、川口さんが選ぶ“現役Jリーガーベストイレブン”を教えてください

川口:難しいですね…(笑)

──絶対にチームに入れたい選手はいらっしゃいますか?

川口:一緒にプレーしていた(中澤)佑二とか、中村俊輔、中村憲剛、小野伸二…この辺りは今もJ1でプレーしていて、絶対に入れたいですね

──引退されている方を含めても良いです

川口:フォワードでいったら…やっぱり自分が一緒に戦った選手になりますね。クボタツ(久保竜彦)とか、タカ(高原直泰)もそうですね。たくさんいすぎますね(笑)。森岡隆三もすごく代表で一緒にプレーしていて楽しかったし、ツネ(宮本恒靖)とかタナカマコ(田中誠)もそうですね。たくさんいすぎて11人を選べないですね

──それだけ素晴らしい選手たちとプレーされて来たんですね。今まで一緒にプレーして“別格だったな”と感じた選手はいらっしゃいますか?

川口:それもたくさんいますね。僕はみんなに頼っていましたから。でもやっぱり、最初に代表で一緒にプレーしたこれも同世代になりますが、中田英寿は別格でしたね

強烈なパーソナリティと試合での絶対的な安心感というか。ヒデにボールを預ければ何とかしてくれるという期待感もありました。ジョホールバルの戦いで、ワールドカップを決めなければいけないあのプレッシャーの中で、ヒデが別次元に行ってしまう瞬間を後ろから見ていました。あの残像は忘れられないですね

あの試合は全ての選手たちが素晴らしいパフォーマンスを見せていましたが、日本とイランを含めて1人だけプレーレベルが超越していました。あれを観た時は、ヒデは別の世界に行ってしまったなという感じがしました。それぐらい彼は、日本のサッカー界にインパクトを与えたんじゃないかなと思います。