新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。

世の中の流れ


2010年、カナダのバンクーバーで冬季オリンピックが行われた。特に浅田真央の演技には日本中が注目した。

■国内外で揺れる情勢
平成22年(2010年)にも多くの記憶に残る出来事が起きました。まずは2月にカナダで、バンクーバー・オリンピックが開幕します。日本選手団は思うような活躍が出来ず、金メダルの獲得は0となりました。女子フィギュアスケートでは、金メダルの期待がかかっていた浅田真央選手は素晴らしい演技を見せたものの、韓国のキム・ヨナ選手に及ばず、銀メダル。全力を出しても金メダルに届かなかった悔しさからか、表彰式の後に涙を流した浅田選手の姿に日本中が胸を打たれました。

政界では、鳩山内閣の下、公立高校の無償化などの改革が実施されます。しかし、その他の政策に関しては財源の確保が難航し、多くの公約を実行することが出来ずに信頼を大きく失う結果となりました。その結果、6月には鳩山内閣退陣し、菅直人内閣が発足しました。また、尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突するという事件が起きたのもこの年。領土問題が連日報道され、日中関係がもつれました。

世界では、オバマ大統領が進めていた、アメリカ軍のイラクからの撤退が8月に完了。中東情勢は依然として多くの課題を抱えていましたが、この撤退により2003年から続いていたイラク戦争が一旦終息した形となりました。

この他にも、日本航空の経営破綻やミャンマーでのアウンサンスーチーさんの解放等、多くの出来事が起こりました。



サッカー界

2010年の南アフリカW杯。日本の躍進に国民が熱狂した。

■世界中を驚かせた日本代表
2010年、岡田JAPANは、初のアフリカでの開催となった南アフリカ・ワールドカップに挑みました。W杯前に行われた国内での親善試合では、セルビア相手に0-3の完敗。そしてライバル国韓国にも0-2で敗れる不安な展開に。さらに、直前ではイングランドとコートジボワールに連敗し、多くの不安を残したまま本戦に挑みました。

日本代表の初戦の相手はサミュエル・エトーらを擁する強豪カメルーン。アフリカ開催のW杯ということもあり、アフリカの雄との対戦に苦戦することが予想されました。しかし、前半39分、右サイドの松井からのクロスをゴール前で受けた本田圭佑が、落ち着いてゴールを決め先制。この本田のゴールが流れを一気に日本に引き寄せます。

アフリカの期待を一手に背負うカメルーンの猛攻にも耐え続け、前半の1点を守り抜いた日本が勝利します。大会前の低調なパフォーマンスから、国民の期待も低かった岡田JAPANでしたが、この1勝により大きな勇気と自信を得ました。また、この勝利は自国開催となった日韓W杯以来の勝ち星であり、ホーム以外でのW杯初勝利となっています。

勢いに乗った日本代表ですが、次の相手はヨーロッパの強豪国オランダ。優勝候補相手に善戦した日本でしたが、後半の53分にこの大会絶好調だったスナイデルの強烈な無回転ミドルをGK川島が弾ききれず、先制を許します。後半には闘莉王のフリックから岡崎がゴール前でチャンスを得ますが、シュートは枠外に。試合はそのまま0-1で終了し、日本の2戦目は敗北に終わりました。

一瞬の隙を逃さずチャンスを確実に決めてくる強豪国との差を感じつつも、オランダ相手に互角の勝負をしたことで日本代表はさらに自信を付けます。そして決勝トーナメント進出をかけた第3戦、デンマーク戦を迎えました。

実力が拮抗した試合になるかと思われたデンマーク戦でしたが、意外な展開となります。前半17分に、本田の豪快な無回転FKで日本が先制。このゴールはもはや日本サッカー史に残る伝説的なゴールとなっています。前半31分には名手遠藤も芸術的なFKを決め、前半を2-0で折り返します。



逃げ切りたい日本でしたが、81分にPKから1点差に詰め寄られますが、87分にエリア付近でボールを受けた本田が個人技でゴール前に抜け出すと、岡崎にラストパス。これを岡崎が落ち着いて流し込み、3-1と日本の勝利を決定づけます。このまま試合が終了し、スコアだけでなく内容でも素晴らしいパフォーマンスを見せた日本がデンマークを撃破し、2大会ぶりの決勝トーナメント進出を決めました。

■決勝トーナメント初勝利への挑戦


ベスト8をかけたパラグアイとの試合はPK戦までもつれる接戦となった。

下馬評では予選敗退濃厚と言われていた日本がグループステージを突破したことは、世界を驚かせると共に、日本を熱狂させました。そんな中、日本はベスト8をかけて南米の強豪パラグアイと対戦します。両者の実力は拮抗し、お互いに幾度となくチャンスを作ります。日本はミドルシュートを積極的に放ち、松井のシュートがクロスバーを叩く等、パラグアイゴールを脅かしますが、結局ゴールを決めることが出来ず。パラグアイも無得点に終わり、延長戦を含めた120分で決着が付かず、勝負はPK戦までもつれました。

両者全員成功で迎えた3巡目、日本の3人目だったDFの駒野がPKを外してしまい、そのまま日本はパラグアイに敗れました。初のベスト8が後一歩の所まで来ていただけに悔やまれる敗戦でしたが、世界の強豪たちを相手に堂々たる戦いを見せた日本代表に国民は大きな感動を覚えました。


PKを外した駒野友一選手を励ます松井大輔選手と阿部勇樹選手。

また、歴代の日本代表の中でも特に仲が良く、団結したチームであり、W杯からの帰国会見での和やかなムードは日本代表の好感度をさらに押し上げました。ちなみに、この会見では、チームの“いじられ役”だったDFの今野がチームの他のメンバーからの要望で、先輩DF闘莉王のモノマネを披露。このモノマネはチームの雰囲気の良さを表していました。

この2010年という年は、W杯南アフリカ大会の日本代表の活躍により、多くの日本人選手がヨーロッパの舞台に飛び立った年でもあります。この年に海外挑戦した代表的な選手を挙げると、イタリアのチェゼーナへ移籍した長友(後にインテルへ移籍)、ドイツの名門・シャルケに移籍した内田、そして同じくドイツのドルトムントへ移籍した(後にマンチェスター・ユナイテッドへ移籍)香川など、現在も日本サッカー界を引っ張っているスター選手たちが名を連ねます。


2010年では届かなかったベスト8、そしてさらにその上を目指す挑戦に向け、選手1人1人が日本から世界へと活躍の場を移していったのでした。