アストンマーティンやフェラーリなどとのコラボで有名なザガートですが、かつてポルシェも手掛けていました。1959年のレース中の事故でクラッシュした「356ザガート」をザガート自らが製作し直した「サンクション・ロスト」を紹介します。

失われたポルシェ「356ザガート」が復活! オークションの評価はいかに?

 イタリア・ミラノのカロッツェリア「ザガート」は、ウーゴ・ザガートによって1919年に創業した老舗。そして、ウーゴの孫であるアンドレア・ザガート氏が率いる現在では、その積極的なビジネス展開についても小規模カロッツェリアやコンストラクターの世界的な規範となっているようだ。

 現在ではアストンマーティンとのオフィシャルコラボによって、「V12ザガート」や「ヴァンキッシュ・ザガート」、「DBS GTザガート」などスペシャルモデルを続々とデビューさせるかたわら、ワンオフないしはごく少数(9台とする事例が多い)のスペシャルモデルの製作も積極的に展開している。

 2021年11月6日、クラシックカー/コレクターズカーのオークション業界における世界最大手、RMサザビーズが英国本社を拠点として、リアル対面型/オンライン併催でおこなったオークション「LONDON」に出品された2台のザガート製ポルシェ「356」は後者の一例。伝説的なレーシングカーをザガートが自ら復刻させた、きわめて興味深い2台なのだ。

●名門カロッツェリアの手で変身しつつも、悲劇的な運命をたどったポルシェ

 第二次世界大戦前、アルファ ロメオ「6C1500/1750」、「8C2300」などに美しいスパイダーボディを架装することによって、大きな成功を収めたザガート。しかし戦後になると、自動車メーカーからの正規オーダーが大幅に減少してしまう。

 この1940年代末から1950年代前半の不遇時代に誰よりも奮闘したのは、創業者ウーゴの長男、エリオ・ザガートだった。エリオは厳しい会社経営のために奔走するかたわら「スクーデリア・サンタンブローズ」と名づけられた、ジェントルメン・レーサーで組織するレーシングチームのエースのひとりとして参画。自らボディを手掛けたザガート製マシンを駆って、イタリア国内のGT選手権で4度のチャンピオンに輝く名ドライバーとして知られていた。

 そしてエリオがレースやヒルクライムで勝つことによって、ザガート製ボディの優秀さが証明され、サンタンブローズのチームメイトや、時にはライバルまでもがザガート社にボディ製作を依頼する。そんなエリオの奮闘を見て、当時のレース仲間たちはジョーク交じりに「イタリアでもっとも速いセールスマン」と呼んでいたという。

 そんなエリオのレース仲間のひとりに、1950年代には「Un Prince du Volant(レース界の王子)」とも呼ばれたフランス人ドライバー、クロード・ストールズがいた。パリ生まれの彼は、サーキットレースだけではなくラリーでも活躍。1957年にフランスのラリー選手権タイトルを獲得した一方で、1958年にはフランス国内のフォーミュラ2チャンピオンにもなっている。

フロントノーズのデザインなどに、当時のイタリアンカーのデザインとの共通性を見ることができる(C)2021 Courtesy of RM Sotheby'sv

 クロードはポルシェを愛用し、「550スパイダー」で数々のビッグイベントを制覇したが、さらに高速サーキットのレースのために、ポルシェ「356スピードスター」に550スパイダーと同じ4カムシャフト(バンク当たりDOHC)+組み立て式クランクシャフトの「フールマン・ユニット」を搭載した「356カレラ・スピードスター」を入手。すぐにミラノのザガートに持ち込み、軽量かつ空力的なアルミ製ボディをワンオフ(一品製作)で架装させることにした。

 リアフェンダーをテールフィン状に成型した空力的なアルミボディは、デビュー戦となった1958年9月の「トゥール・ド・フランス」から早々に戦闘力を発揮し、特にランス(Reims)の高速サーキットステージでは、総合優勝者オリヴィエ・ジャンドビアンのフェラーリ「250GT」に肉薄する2位のタイムをたたき出したという。

 そしてわずか数か月後の1959年2月7日、クロードは356カレラ・スピードスター・ザガートとともにランスに戻り、「ラリー・ド・ルート・デュ・ノール」のスピードステージに挑む。

 絶好調のクロードは、ピエール・ノブレのフェラーリ250GTに続く2位でレースを進めていた。ところが、ここで彼は重大なアクシデントを巻き起こし、緊急搬送された病院で死亡が確認されるという、悲劇的な幕切れを迎えてしまうことになったのだ。

 そして、このクラッシュによって大きな損傷を受けたポルシェ356カレラ・ザガートの残骸は、トラックに乗せられてランス・サーキットをあとにしたものの、そこで消息を絶ってしまったまま、現在に至るまで発見されていないという。

 今回のオークション出品された2台は、その失われたオリジナル車を、創造主であるザガートが自ら現代に復活させたもの……、とのことなのである。

失われたポルシェ「356ザガートが復活! オークションの評価はいかに?

 今回RMサザビーズ「LONDONオークションに出品された1960年型ポルシェ「356カレラ・ザガート・スピードスター“サンクション・ロスト”」および1960年型ポルシェ「356カレラ・ザガート・クーペ“サンクション・ロスト”」は、いずれも約60年前の年式を標榜しているものの、実際に製作されたのは数年前。2010年代後半のことである。

ポルシェ「356」もザガートの手にかかるとシャープで伸びやかなラインとなる(C)2021 Courtesy of RM Sotheby's

●失われたザガート製ポルシェ、その復活のストーリーとは?

 2009年に逝去したエリオ・ザガートの息子で、辣腕ビジネスマンとして知られるアンドレア・ザガート氏の主導によって、ベース車両となるポルシェ356のコンポーネンツを集め、クロード・ストールズのため1958年に製作されたオリジナル車両を忠実に再現することになった。

 このプロジェクトは、もともとアメリカ人のコレクターのオーダーによるものだったそうだが、ザガートでは9台の限定生産を決定。クロード・ストールズ車を撮影した1958−1959年当時の写真や図面をスキャンした上で、現代的なフォトメトリックの過程を通じて、新造のアルミ製ボディを作成できるデジタルフォーマットを作成した。

 そしてこれらの9台について、ザガートでは一般的な「レプリカ」という表記を使わず、失われたモデルを公式に蘇らせるというコンセプトから「サンクション・ロスト(Sanction Lost)」と名づけた。

 この命名法は1990年代初頭に、アストンマーティン社のお墨つきのもと、「DB4GTザガート」を4+2台のみ復活させた「サンクションII/III」の故事にならって……、ということであろう。

 ちなみに筆者の記憶が正しければ、この9台のスピードスター「サンクション・ロスト」のうちの少なくとも1台は、日本国内の愛好家のもとに納車されている。加えて1959年当時はデザインスケッチのみが存在していたという、クローズドボディのクーペ版も9台が製作されることとなった。

リアフェンダーから伸びるレッドに塗られたフィンが特徴的だ(C)2021 Courtesy of RM Sotheby's

 今回のオークションに出品されたザガート・スピードスター「サンクション・ロスト」は、1960年型のポルシェ「356Bクーペ」をベース車両として使用して、2016年に完成した。一方ザガート・クーペ「サンクション・ロスト」は、同じく356Bクーペの1961年型をドナーカーとして、2017年にザガート製のアルミボディを架装している。

 また、総計18台が製作されたポルシェ356ザガート「サンクション・ロスト」のうち、3台のみが希少なフールマン4カムユニットを搭載する「カレラ」仕様として作られたとの由だが、今回のオークションに出品されたスピードスター/クーペともに、そのカレラ仕様。

 極めて精巧かつ複雑なメカニズムで知られるフールマン・ユニットは、クラシック・ポルシェの分野では世界的に著名なデンマークのスペシャルショップ「ピーター・イヴェルセン」に委ねられたものという。

 この2台のポルシェ356ザガート「サンクション・ロスト」は、11月7日の競売ではともにビッド(入札)が伸び、スピードスターは45万5000ポンド、日本円換算で約6975万円。クーペは42万6875ポンド、すなわち約6544万円で無事落札となった。

 個体そのもののヒストリーはあくまでスタンダードの356Bであり、事実上の新造であるエンジンは、当然ながらマッチングナンバーではない。

 それでもこれだけの高値がついたのは、ファンの間では崇拝の対象であるザガートが「正しい様式」で製作したポルシェ356だったから、ということに尽きるようだ。