フェラーリにあってフェラーリにあらず。しかしもっとも美しい跳ね馬と称される「ディーノ」とはどんなクルマなのでしょうか。改めてその歴史を紐解いてみましょう。

エンツォの息子アルフレードのアイデアから生まれたV6ユニット

Writer:西川淳
Photographer:神村聖

 はたして、1956年にアルフレードが夭逝することなく、父エンツォの元で働き続けていたならば、フェラーリの現代の姿は、どうなっていただろうか。変わらず、世界最高の自動車ブランドとして君臨していただろうか。

 それとも……。その答は後に譲るとして。

●フェラーリの命運を大きく変えたV6ユニット

 アルフレードは、エンジンパワー信仰の権化のようだった父とは違って、小さなエンジンや小型モデルに期待を寄せる若きエンジニアだった。そんな彼が病床にあってアイデア段階から関わっていたとされるのが、ヴィットリオ・ヤーノによって開発されたV6エンジンである。

 アルフレードは、このエンジンの完成を見ることなく、この世を去った。彼の死を悼んで、それをディーノV6ユニットと呼んだのは、父エンツォの哀しみの深さを物語っているといっていいはずだ。

 1958年、フェラーリ史上初めて、V6エンジンがF1マシンのフロントノーズに収まることになった。

 60年代前半には、このディーノ・ユニットを積んだ、様々なプロトタイプやレーシングカーが造られた。そしてついに、60年代半ばには、初めてディーノエンブレムをノーズに飾るマシンが登場している。1.6リッターのディーノV6を積んだ「166P」だ。

 その後、「206S」シリーズや「206GTベルリネッタスペチアーレ」(コンセプトカー)といったV6縦置きモデルを経て、1967年には待ちに待ったディーノ・ロードカーのプロトタイプが、エンジンを横置きにして発表された。

 そして、1968年。「ディーノ206GT」の生産が、いよいよ始まったのだった。

 アルフレードの死、そしてそこから生まれたディーノV6ユニットを巡る一連のストーリーは、結果的に、その後のフェラーリの運命を大きく変えることになる。

 F2用として開発の終わっていた2リッターV6エンジンの前には、連続する12か月で500機以上を生産する市販エンジンでなければならない、という1967年シーズンのレギュレーションが大きな壁として立ちはだかった。

 フェラーリには当時、そこまでの生産能力もなければ、仮にエンジンを造れたにしても載せるクルマがそもそもなかった。そこで編み出されたウルトラCが、当時、ブランドイメージを上げるべく高級モデルの設定を模索していたフィアットとの連携であった。

 1965年3月。ジョバンニ・アニエッリとエンツォ・フェラーリは、フェラーリ開発のエンジン製造をフィアットに任せ、エンジン供給を受けてオリジナルのミドシップカーを生産する代わりに、フィアットにもディーノエンブレム付きのGTカーを製造販売する権利を与えたのだった。

 それゆえ、フィアット「ディーノ・スパイダー」がすべてのディーノに先駆けて、1966年にデビューする。

 早々にレギュレーションを充たす500機製造を達成すると、フェラーリとフィアットは、V6エンジンの耐久性や信頼性、そして生産性を上げるべく、ブロック素材をアルミニウムからスチールへ、排気量を2リッターから2.4リッターへそれぞれ変更し、しかも今度はフェラーリの経営を支援する目的もあって、モデナ製となった。

 それが1969年のことだった。

米国での拡販に成功したタルガトップモデル「246GTS」とは

「ディーノ246GT」に搭載される2.4リッターエンジンが誕生した1969年、フェラーリ史に残る大事件が起こった。エンツォがフェラーリ株の半数をフィアットに売却したのだ。

 エンツォ、七十歳の決断。

 自身の分身ともいうべき会社の半分をアニエッリに渡すということは、すなわち、エンツォ自身がロードカービジネスという日常から解放されることを意味していた。そして、残り少ない人生の全てを、彼は再びモーターレーシングの世界一筋に捧げようとした。

フロントからリアまで流麗なラインで構成されたスタイルは、史上もっとも美しいクルマと称賛する人も少なくない

●史上もっとも美しいクルマと称える人も多いディーノ

 原点回帰。この決断が、後のフェラーリブランドに与えた影響は実に大きい。もちろん、60年代までのフェラーリもモータースポーツ界とスポーツカービジネス界における盟主であったが、現代に至るF1を核としたブランドイメージは、70年代以降のモータースポーツ活動によって培われた側面が非常に大きい。この決断があったからこそ、70年代にイタリアン高級ブランドを襲った世界的な不況に際しても、フィアットは迅速にフェラーリを助ける決断をし、エンツォはF1活動に専心することができた。

 もしもあの時、ディーノエンジンを媒体とするフィアットとの連携が成立していなかったら? もし小型車(フィアットが正にその代名詞であろう)の将来を見極めたアルフレードの強い意思がなく、ディーノV6が生まれなかったとしたら?

 いや、そもそもアルフレードが健康に成長し、エンツォの後継者として立派に成長していたとしたならば?

 エンツォはアニエッリに近づき、後々の関係を築くことが、はたしてできたのだろうか……。

 206GTは、わずか150台程度が製造されただけで終わったけれども、生産性の向上した246GTは、1969年から1974年までのあいだに2472台が製造され、販売台数増に大いに貢献した。なかでも、1972年に発表されたタルガトップモデル、「246GTS」の貢献が大きい。ディーノが北米市場デビューを果たしたのは、1971年のこと。最終バージョンのシリーズEからで、GTSはオープンカー天国アメリカでの拡販を狙ったモデルでもあった。

 狙いは当たった。GTSの生産台数は1274台。たった2年で全ディーノのちょうど半分を稼いだ計算になる。

 改めて、246GTSをじっくりと見てみよう。フルレストアされたホワイト×ベージュの美しいGTSである。

 タルガ=アメリカ仕様、というイメージからか、ディーノにおけるGTSの人気は今までなぜかイマイチだったけれども、こうして改めてそのスタイリングを見てみれば、サイドリアウインドウを埋め込んだ独特なデザインが、ディーノのもつふくよかなフェンダーラインと、ルーフ後端の両サイドからわずかにえぐられてテールエンドへ走る緊張感にみちたラインを、いっそう際立たせているのが分かる。

 ベルリネッタより、ひょっとして美しいのではないだろうか?

 特にこの個体は、タルガトップをボディ同色としており、いっそうリアセクションの存在感を高め、エレガントさもひとしおである。

 今からディーノライフを始めるならば、いっそGTSで新たな世界観を創り出してみるというのは、どうだろう。

●DINO 246 GTS
ディーノ246 GTS
・生産年:1971−1974年
・総排気量:2418cc
・トランスミッション:235km/h
・全長×全幅×全高:4240×1700×1140mm
・エンジン:V型6気筒DOHC
・最高出力:195ps/7600rpm
・最大トルク:22.9kgm/5500rpm
・生産台数:3761台(うちGTSは1274台)