一度でも「チンクチェント」を運転したことのある人なら、アニメ『ルパン三世』のようには走行できないことはご存知のはず。しかし「500ev」ならば、アニメにより近い加速を見せてくれるはずです。

可愛らしいフィアット「500ev」が誕生した理由とは

 これならルパン三世のようにドカーン! とダイナミックに走れるかも……と自分らしいオープニングでこのチンクエチェントを語りはじめたいところだけど、今日はいつもと趣向を変えて、ちょっとばかり固い話からスタートしよう。

 ほとんどの方が御存知のことと思うけど、今、世界の自動車メーカーは「カーボン・ニュートラル実現!」というお題目の下、メキメキと電動化に向かって進んでいる。世界の自動車メーカーの中には電動車専門になることを宣言しているところがいくつもあるし、欧州委員会は2035年にはガソリン・エンジンもディーゼル・エンジンも、それら内燃機関とモーターを組み合わせたハイブリッドカーも、新車販売を事実上禁ずるという案を発表したりもしている。そうなるとピュアEV(BEV=バッテリー電気自動車)やFCV(FCEV=燃料電池車)くらいしか生き残れない可能性が大だ。

 個人的には化石燃料を爆発させて動力に変換するクルマも大好きな身だから思うところも多々あるが、同時にハイブリッドカーやピュアEVといったモーター駆動のクルマを否定する気もさらさらない。モーター駆動にはモーター駆動の楽しさ、気持ちよさというものがあるからだ。

 それより何より「できるの?」という疑念の方が強い。現在の電気自動車や燃料電池車には1台のクルマとしてかなりいいモノも多いけど、周囲を取り巻く環境には問題が山積みだからだ。

 例えば電気自動車だけ考えても、充電インフラはいつになれば僕達が“それならEVに乗るか”と自然に思える状況になる? 仮に新車販売が大幅に落ち込んだ2020年並みの約7850万台を全てピュアEVでまかなうとして、それだけの量のバッテリーを誰がどうやって生産・供給する? その原材料はどうやって確保する? バッテリーの生産そのものに要するかなりの電力を、ちゃんとカーボン・ニュートラルで作れる? 無数のEVが夜間に一気に充電に入ったら電力不足になっちゃうんじゃない? ──というのは氷山の一角のようなモノ。今の段階では、BEVだけの世界には、そう簡単には変わらないように思えるのだ。

 が、そうした小難しかったり面倒くさかったりするお話とは全く別の次元にいるかのようなピュアEV、というのが存在する。バッテリーとモーターで走るゼロ・エミッション・ヴィークルであるのは確かだが、生まれてきたきっかけが違うのだ。このクルマに対する深い想いが、このクルマの電動化車両を作るという発想に結びついている。

レストア込みで車両価格は660万円(消費税込)

●「動くモダン・アート」の保護・保存の一環として

 フィアット「500ev」は、日本のチンクエチェント博物館がプロデュースして、イタリアのスペシャリストが作り上げる、いわばコンヴァージョンEVだ。現地にあるベース車の内外装やシャシ周りをレストアし、フロントフードの下の燃料タンクがあった位置にリチウムイオンバッテリーを、リアフードの中のエンジンがあった部分にモーターその他のEVコンヴァージョン・キットを組み込んでいる。

 時代がさらに進んで日本国内にも内燃機関車両の侵入が禁止されるエリアができるようになったり、あるいはそれこそ日本全国全面禁止となったり。仮にそんな時代が訪れたとしてもチンクエチェントが未来に向けて生き残っていくための、ひとつの可能性の追求として手掛けたところがある。

 2代目チンクエチェントはおよそ400万台が生産され、1977年の生産終了から今までの間にだいぶ淘汰されてきているとはいえ、本国であるイタリアにはまだまだかなりの台数が残存している。が、好きな人たちに大切にされているクルマも少なくない一方で、不動になって朽ち果てる方向に向かいそうなクルマが目立つのも事実だ。

 チンクエチェント博物館は、そもそもがフィアット500ことチンクエチェントの素晴らしさを多くの人に知ってもらおうと設立された私設博物館。ニューヨーク近代美術館の常設コレクションとされているほどの“動くモダン・アート”=“走る文化財”を保護・保存し、現役のクルマの状態で後世へと伝えていくことを重要なテーマのひとつとしている。

 そのため現地にあるクルマをイタリアのスペシャリストの手で現代に通用するクオリティにまで仕上げ直し、それを日本のユーザーに届ける──それもあまり儲かるとは思えない価格設定で──という活動もおこなっている。博物館の伊藤精朗オーナーは“里親さがしをするようなつもりではじめた”とおっしゃるが、迎え入れた側がその後の生活を不安なく送れるように、日本のスペシャリストたちの協力を仰ぎ、サービスのネットワークまで構築している。

 フィアット500evもその活動の一環、といってもいいだろう。古いクルマなら起きても不思議ないエンジン・トラブルとは無縁だし、オリジナル・チンクエチェントでは可能なら心掛けるべきクルマに合わせた運転もしなくていいし、頑張らなくても現代の交通の流れに乗れる速さもあるし、AT限定免許でも乗ることができる。

 つまりクラシックカーの範疇に入る、それも多くの人を笑顔にできるキャラクターを持ったクルマに乗るハードルが思い切り下がったわけだ。しかも、空冷2気筒エンジンが持つオールドスクールな楽しさの代わりに、モーター駆動のクルマならではの楽しさを手に入れている。2020年にプロトタイプに何度か試乗させていただき、その魅力はたっぷりと味わうことができた。

一般道で普通にクルマの流れに乗れる「500ev」の走りとは

 今回走らせることができたのは、プロトタイプで得ることができた知見を生かしつつ完成させた、プロダクション・モデルの第1号車だ。バッテリーをフロントに積み、イタリアのニュートロン社製EVコンヴァージョン・キットをリアに組み込むという基本的な構成はプロトタイプと同様だが、1バッテリーではなく2バッテリー仕様となってることが異なっている。また13kWだったモーターの出力が10kWとなっているので、モーターにも何かしら変更があったのだろう。

TFTメーターもオリジナルのコクピットに違和感なくフィットしている

 実車を前にしてまず驚かされたのは、仕上がりのクオリティだ。徹底的に手が入れられたいわゆるフル・レストアがおこなわれているわけだが、その仕上がりクオリティの高さは目を見張るほど。まるで新車、である。

 そしてもっとも驚かされたのは、チンクエチェント博物館のアイデアに忠実に、イタリアで作られた様々なオプション群だ。“F”タイプ同様の単眼デザインのTFTメーター、スポーツ/エコの走行モード切り替えシステム、フロントシートの下にスピーカーを仕込んだBluetooth式デジタルオーディオシステム、キーレスエントリー&セキュリティシステム、イルミネーション付きのプッシュスイッチ、USBポートなどなど、かなり現代的なモノが用意されてる。

 このクルマはプロダクション・モデル第1号車なだけにデモカー的な役割をも担うわけで、フルオプションといえる仕様になっていたが、旧き佳き雰囲気を壊すことのないようデザインにしても取り付け方にしても最大限の配慮がなされていて、にも関わらずモダンな機能を享受できるのだから、何だかちょっと不思議な気分。嬉しくも楽しい違和感だ。

 もうひとつ、フロントのエンブレムの部分が開閉式となり、そこが充電口となっているのも新しい。こうして見ていくと、プロトタイプからずいぶん進化しているのだな、と感じられる。

 ちなみにオプション群について触れたついでにお伝えしておくと、この500evはベースとなる仕様はあるものの、基本的にはオーナーと相談しながら最終的な仕様を決めていくオートクチュールのようなもの。オプションのチョイスはもちろんだが、ボディカラーやインテリアの色と素材などの指定もできるし、右ハンドル、ロングサンルーフ、クローズドルーフなどの仕様を選ぶことができる。製作には技術・手間・時間を要するため、1年間に作り上げられるのは僅か10台ほどであるという。

 そんなわけで500evプロダクション・モデルは、現時点において日本にたった1台。ちょっと緊張しながら走り出してみると、やはりかなり力強い。13.5psというのは例えばガソリン・エンジンのフィアット500“F”、500“L”といったもっともポピュラーなチンクエチェントのエンジン18psよりアンダーパワーということになるが、それでも加速は圧倒的に500evの方が強力だ。

 僕は近頃、このVAGUEでそろそろスタートする企画のためにチンクエチェント博物館のメディアカーである「500L」を日常使いしているからよく判るのだが、信号からのスタートで他のクルマたちに引けを取るようなことはないし、交通の流れに乗り続けるために頭を使った運転をする必要もない。それどころかその気なら後続車を置き去りにできるくらい。

 500Lなら明らかに失速していく登り坂でも全く速度を落とすことなく駆け上がっていく。隣にだれかを乗せて“あれ? 遅いな”と感じることもない。モーターの最大トルクは公開されていないが、プロトタイプの160Nm、つまり16.32kgmと体感的にはさほど違いを感じない。多少は落ちていたとしても10kgmを割ることは絶対にないし、仮に10kgmだとしてもガソリン・エンジンの3.1kgmからすれば3倍以上のトルク。そのトルクがモーターならではの瞬間的といえる立ち上がりを見せるのだから、ハッキリと力強さを感じるわけだし、じれったさというものが微塵もなかったりするわけだ。

 しかも、同じチンクエチェントとは思えないくらい安定している。ガソリン・エンジンのチンクエチェントはリア・エンジン+リア駆動でフロントが軽いため、速度を上げれば挙げるほどフロントがチョロチョロと動いて落ち着かなくなっていくのだが、500evはバッテリーの重量がフロントをグッと押さえつけるせいか、それが全くない。クルマ全体がドシッと安定して、ちょっとした高級感すら感じられるほどなのだ。しかも車内に空冷エンジン特有のサウンドが満ちることはなく、見事な静けさ。声を張り上げなくても、助手席と普通に会話ができる。ここは大きな違いである。

 といって、チンクエチェントらしさがなくなってしまったわけでもないのだ。ステアリングをスッと切り込んだ瞬間からリア・タイヤまで反応を開始してクルマ全体で曲がっていくような、スタイリングからは想像もできないスポーティとすらいえる動きを楽しませてくれたりもする。そのあたりはチンクエチェント以外のなにものでもない。エンジン付きのチンクエチェントもたっぷりと楽しいけど、モーターで走るチンクエチェントに乗り換えても、やっぱり楽しかった。少しずつ楽しさの質が異なるところはあるけれど、得られる楽しさの量はどっちも負けてない。素直にそう感じてる。

搭載されるモーターは、13.5hp(10kW)で、航続距離が約100kmである

●ワケもなく幸せな気分になるピュアEV

 ちなみに充電は電欠の状態から満充電にするまで、200Vでおよそ9時間。そして航続距離は約100km。これをどう考えるかで、この魅力的なピュアEVを楽しめるかどうかが決まると思う。

 もちろん自宅や自分の駐車場で充電できることが必要となるだろうし、これ1台で全てをこなすには、よほど走る距離の少ない人以外、ちょっとばかり無理があるとは思う。でも、2台目もしくは3台目として迎え入れるならどうだろう?

 ロングドライブには1台目のクルマに乗り、日常的な買い物だとか通勤といった街中での移動、あるいは別荘のガレージに置いて滞在中の付近のアシ、というような乗り方なら全く問題ないと思うのだ。それなら1日に100kmの距離を走ることなんて、ほとんどないはずなのだから。

 そこにだけ少し気を使ってあげられれば、500evは唯一無二の愛らしさで周りの誰もを笑顔にできる洒落たシティコミューターとして、現代のクルマとは比較にならない小ささがやたらと嬉しい暮らしの相棒として、あるいはチョイ乗りだけでも存分に楽しい趣味のクルマとして、いい味を出してくれると思うのだ。

 これまでの自動車とピュアEVは、できることは似てるけど、全く別の乗り物。ピュアEVは楽しい乗り物ではあるけど、クルマとしては万能性に欠けている。現時点において、それは紛れもない事実。ならば割り切るところはスッパリと割り切って、こうしたワケもなく幸せな気分にさせてくれるピュアEVを自分の暮らしに組み入れてみるっていうのが、とても素敵なことであるように感じられてくる。