コーヒーで旅する日本/東海編|コーヒーを通じて、魅力ある町づくりをする。「hikure.」
東海編の第22回は、愛知県豊川市にある「hikure.」。店主の石部さんは弱冠27歳という若さでロースターを開業。地元を愛し、先輩後輩関係なくすぐに仲良くなれる明るい人柄で幅広い交友関係を築く、金髪がよく似合う今時の若者だ。実際に会って言葉を交わしてみると、海外で暮らした経験によるものなのか、柔軟に物事をとらえる感性が印象的。その愛すべき気質は、コーヒーに対しても発揮されている。焙煎も抽出も自分のスタイルに固執することなく、「相手がどう感じるか」を常に頭のどこかで意識しているように見受けられた。そんな石部さんの周りには、自然と人が集まってくる。「僕は、コーヒーを販売しているようで、実は町づくりをしているんです」と話す石部さんの、内面に抱く想いを探ってみたい。
Profile|石部陸(いしべ・りく)
1995(平成7)年、愛知県豊川市生まれ。小学生時代をヨーロッパで過ごして帰国した中学生の頃からコーヒーを飲み始め、高校生の頃には自分で淹れるようになった。大学卒業後にメルボルンで1年間、バリスタの経験を積む。帰国後は地元である愛知県豊川市のロースター「スペシャルティコーヒー蒼」で約3年間、ドリップや焙煎を学んだ。2022年4月に「hikure.」をオープン。
■過ごし方のひとつとして、コーヒーにハマる
日本三大稲荷のひとつとして全国的に有名な豊川稲荷で知られる愛知県豊川市。その西端に位置し、三河湾に面した御津町にロースタリーカフェ「hikure.」がある。「店名の由来は、この辺りの地名です。"日が暮れるまでの溜まり場"というコンセプトにも掛けています」と話すのは、店主の石部陸さん。隣町に生まれた石部さんにとって、ここはまさにホーム。幼少期、写真家だった祖父はよく石部さんを連れて喫茶店へ通ったそうで、これがコーヒーの原体験になった。「当時はもちろんコーヒーが飲めず、僕はオレンジジュースでした。それでも、休みの日のルーティンみたいな感じで喫茶店に行っていましたね。小学生になると家族の都合でヨーロッパに引っ越したんですが、中学に進学する頃にはまたここに帰ってきて、ちょっとかっこつけてコーヒーを飲むようになりました。砂糖をたっぷり入れて(笑)」
高校生になると、豆を買ってきて自分で淹れるのが楽しみになった石部さん。「ひとりの時間を楽しむツールでもあったし、友達を呼んで庭でコーヒーを淹れるのもなんかかっこいいと思って。正直な話、味なんかどうでもよかったんです。自分で豆を挽いて、お湯を沸かして淹れて、自分の好きなところで飲む。そうやって過ごす時間が好きでした」
大学生になると、いろいろなカフェに行ってスペシャルティコーヒーを飲むようになるなど、コーヒーに対する知識と興味は徐々にレベルアップ。そして、大学を卒業していよいよ社会人になるという時に、自分が本当に好きなものは何かを考えた結果、就職をやめてバリスタ修業のために単身メルボルンへ渡ることにした。「自分がずっと続けてきたことを考えてみたら、コーヒーとスケボーだったんです。この2つをできる環境がある街に行こうと思って。家族間の会話にも英語が出るような環境に育ったので、言語に対する不安がないのも決断できた大きな理由ですね。メルボルンはライフスタイルの近いところにコーヒーがあって、お店も消費者もレベルが高い。ここでコーヒーの深さを教え込まれたみたいなところがあります。結局1年くらい住んでましたが、今もコーヒー業界でやっていくにあたって影響を受けているかなと思います」
メルボルンのカフェ文化はエスプレッソが中心だが、日本でコーヒーに携わるならドリップの技術は必須。帰国した石部さんは、地元・豊川にある「スペシャルティコーヒー蒼」でドリップと焙煎を勉強することにした。「当初は1年で独立するつもりでしたが、浅はかでした(笑)。結局3年かかりました」と明るく笑うが、当時は夢中になってコーヒーと向き合っていたという。そして、コーヒーを出せる最低限の設備をそろえて、2022年に「hikure.」をオープン。「とりあえずコーヒーだけ淹れられればなんとかなるでしょ、と思って。オープンから1年経って、ようやくいろいろなマイナスをゼロに戻せたかな、という感じです。プラスにしていくのはこれからですね!」
■お客の好みに合わせた変幻自在な抽出スタイル
ハンドドリップで抽出する時にメインで使うドリッパーはハリオV60だが、抽出器具も抽出方法もお客の好みに合わせて変えているという。「常連さんは大体好みがわかっているので、それに合わせて淹れます。豆の量を1杯15グラムのところを18グラムにしたりとか、ドリッパーをORIGAMIにしてボディ軽めに抽出したりとか。僕が勝手にやっちゃうから、スタッフは大変ですね(笑)」
ハリオV60の魅力は、キレ味の良さ。また、ORIGAMIよりも抽出時間が長くなる分、ボディの厚みも感じられる仕上がりになるという。ドリッパーごとに強みがあるので、店にはハリオV60やORIGAMIのほかにもさまざまなドリッパーを取り揃えている。こんなところにも、自分の考えに固執しない石部さんの柔軟さが見える。
エスプレッソマシンは、メルボルンでも使っていたというラ・マルゾッコ。「この辺の人たちは僕がドリップメインの『スペシャルティコーヒー蒼』で働いていたことを知っているんで、オーダーの7割が実はドリップなんですよ。でも、メルボルンはエスプレッソ文化だし、そちらも知ってもらえたらうれしいですね」
■カフェやレストランからの依頼も多数
「hikure.」の焙煎機は5キロ釜。オープンまもない若手店主が扱うにしてはかなり大型だろう。「知人からの繋がりがどんどん広がって、独立する前から個人として名古屋のレストランやカフェと取り引きしていたので、3キロだと結構時間がかかるんです。それに、自分への戒めというか、頑張れよという期待も込めて、5キロにしました」
独立前に扱っていた焙煎機は今と同じフジローヤルの3キロ釜だったが、5キロ釜にしたことでバーナーが6本から9本に増えた。「最初は火力が強くてびっくりしました。1年間、季節の変化を通して使ってきたので、ようやく感覚に慣れてきた感じです。今まではオーソドックスな火の入れ方をしてきたけれど、一回りの季節を経験したので、これからちょっとずつ応用を効かせていこうと思っています」
豆はすべてスペシャルティコーヒーを使用。「品質のいい豆を使って、浅煎りで個性を表現したい気持ちもあるし、逆に、いつも通り近隣の人たちが好む深煎りもやりたいなという想いもある。どっちも取りたいんです。コーヒーの可能性というか、『こんなのもあるんだよ』『あんなのもあるんだよ』と、いろいろなタイプを提示していけたらいいなと思っています」
ここで、石部さんが焙煎する時に気を付けているポイントを聞いてみた。「ボディは結構重視していますよ。浅煎りのすっきりしたコーヒーもおいしいんですけど、ボディが分厚い方が僕は好きなんで。割と火の入れ方はしっかりやっているかな、と思います」。一方、卸しの豆を焙煎するとなると、心境に違いはあるのだろうか。「自家焙煎じゃなくてもコーヒーの知識をすごい持っているオーナーさんが増えているので、うまく落としどころを付ける必要はありますね。オーナーさんが喜んでくれるなら、できるだけ意見に添いたいと思うし、逆に、自分の店じゃないからチャレンジできることもたくさんあると思います」
■みんなで作り上げていく溜まり場
石部さんとしては、「hikure.」は自分の店というより、みんなで作り上げていく場所という意識が強いという。いろいろな人が出入りしているうちに、自然と溜まり場が形成されていく。「うちはコーヒー店ですけど、コーヒーを売っているようで、僕としては町づくりをしている感覚です。僕たちはここでコーヒーを淹れるだけで、そこから先のお店の使い方は自由であっていいと思うんですよ。街中のコーヒー店と違って、郊外のコーヒー店は来店そのものが目的になる。だから、なるべくみんな受け入れてくれて、受け入れられて、居心地よくしたいです。その代わり、出すコーヒーはしっかりクオリティの高いものを提供したい。僕が今こうやって店をやれているのも、今まで頑張ってきた先輩たちの力が大きいんです。先輩たちのおかげで、ちゃんとしたものを適正価格で提供できる。この辺は、コーヒーの楽しみ方を知っている人が多いですよ」
一方で、コーヒーを飲むシーンの創出も重要だと考えている石部さん。「僕がやらなきゃいけないのは、コーヒーの複雑さとか深さを伝えるのじゃなくて、その1個手前の段階。まずは"コーヒーを飲んでもらう"ということをやらなきゃいけない。スペシャルティコーヒーの存在をまったく知らない人にも、コーヒーを飲んで『あれ?いつものと違うな』とそのおいしさを感じてもらえれば、そこまでが僕の仕事。そういう意味では、間口を広げた方がいいかなと思います。それこそ、ちょっとしたイベントを企画して、コーヒーに触れられる機会を作っていくような。それ以降は、例えば新しいスタッフが何か考えてくれてもいいですね。手助けする引き出しはいくらでもあるし、やっぱり、やりたいことがやれる町の方が絶対いいです。例え実らなかったとしても、そのチャレンジには価値があります。僕も前職でいろいろとやらせてもらえたので、同じようにこの店ではスタッフにいろいろとやらせてあげたい。そういう『やりたい』という気持ちが高じて町ができていくと思うんです」
自身が得た知識と経験を惜しみなく披露して、誰かの「やりたい」という気持ちを引き出したい。まだ20代という若さでこれほどリベラルな視点を持てるとは、本当に驚かされた。石部さんの姿を見ていると、豊川、そして東三河のコーヒーカルチャーがどのように展開するのか、先行きが楽しみだ。
■石部さんレコメンドのコーヒーショップは「NOBI COFFEE ROASTERS」
「愛知県刈谷市の『NOBI COFFEE ROASTERS』は、当店と同時期の2022年4月にオープン。刈谷周辺で『コーヒーが飲みたい』と思った時に、たまたま見つけました。内装もかっこいいですし、入口の目立つ場所にプロバットの焙煎機が置かれているコーヒーありきな空間に強いこだわりを感じます。グアテマラやエチオピアを飲みましたが、どちらもおいしかった。表現の幅が広いと感じているので、これからもっとおいしくなるんじゃないかと注目しています。コーヒーを提供しているカップもかっこいいですよ」(石部さん)
【hikure.のコーヒーデータ】
●焙煎機/フジローヤル半熱風式5キロ
●抽出/ハンドドリップ(ハリオV60、ORIGAMI、コーノ式)、エスプレッソマシン(ラ・マルゾッコ リネアミニ)
●焙煎度合い/浅煎り〜深煎り
●テイクアウト/あり
●豆の販売/100グラム770円〜
取材・文=大川真由美
撮影=古川寛二
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