日々さまざまな記念日があるが、7月26日は「幽霊の日」とされている。1825年7月26日、鶴屋南北作「東海道四谷怪談」が初演されたことを記念したものだという。幽霊を見たことはないものの、興味は人並み以上にある記者。身近に幽霊にまつわる話はないかと調べてみると、近くに有名な怪談にまつわる場所を見つけた。と言っても、記者の自宅近所ではない。東京都は市ヶ谷、ウォーカープラス編集部の近くにだ。

やってきたのは、編集部から歩いてすぐの短い坂道。市ヶ谷駅前、靖国通りに繋がることもあり、歩行者がひっきりなしに行きかう道だ。坂の中腹には日本棋院があり、それを右手に見ながらゆるやかな坂を登ると、頂上付近の看板に「帯坂」と名前が書かれている。一見何の変哲もないこの坂こそが、江戸時代から伝わる怪談芝居「番町皿屋敷」の名所なのである。

「番町皿屋敷」の名前は、江戸時代の旗本屋敷のあった地区「番町」に由来する。この名前は現代でも残っており、千代田区には一番町から六番町までが住所として存在している。ちなみに、編集部があるのは五番町だ。看板の由緒書きには、「番町皿屋敷の旗本、青山播磨の腰元お菊が、髪をふり乱し帯をひきずってにげたという伝説により」帯坂という名がついたと書かれている。「お菊」とは言うまでもなく、屋敷の井戸の底で「一枚、二枚」と皿の数を数える幽霊になった女性だ。看板には逃げた後のことは記されておらず、結末が気になるところ。真相を確かめるべく、日比谷図書文化館の文化財事務室に話を聞いた。

担当者によると、帯坂の伝説は番町周辺の住民による口伝が定着したもので、由来は定かではないのだという。そもそも、皿屋敷伝説は全国各地に点在しており、時代も江戸の初期という説や享保年間であったりとバラバラ。「番町」も特定の地名というわけではなく、城下町にはよくあるもの。帯坂を逃げたという「お菊」の伝説は、東海道四谷怪談の「お岩」と混同されて生まれたのではないかという説もあるのだそうだ。「歴史学的にアプローチすると、市ヶ谷の番町に件の屋敷があったかどうかも疑わしいところがありまして。屋敷の井戸に身を投げた話と、坂を逃げ走ったという話も矛盾します。文学作品が下敷きですので、実際のところはよく分かっていないんです」とのこと。幽霊の正体見たり枯れ尾花とはよく言うが、調べたら逆に謎が深まるとは、流石は日本有数の怪談だ。

そんな番町には、「皿屋敷」以外にも、「番町七不思議」といった奇談が残されている。「番町」という街が気になった記者は、その中のひとつ、「番町にいて番町知らず」についてたずねると、「江戸時代には特定の地域の詳細な道が描かれた切絵図という地図があるのですが、切絵図が最初に作られた地区が番町だとも言われています。番町は江戸を守る旗本が住む地区で、同じ仕事、同じ給料をもらっていれば、自然と同じような大きさの屋敷が立ち並ぶことになり、見分けがつかなくなるんですね。そのぐらい迷いやすい町だったので、そういう言葉も生まれたのでしょう」と話してくれた。

一見何の変哲もないオフィス街も、探してみると意外なところに怪談話が潜んでいた。普段何気なく歩く場所でも、思いがけない“出会い”があるかもしれない。【ウォーカープラス編集部/国分洋平】