幕末には倒幕の大立者だが明治の世では大謀反人。いくつもの謎と矛盾を大きな体に内包した、西郷隆盛最大の謎。それは“顔”。たった1枚も写真を遺さなかったという西郷どんは、いったいどんな顔をしていたのだろう!?

明治政府で偉くなっても「西郷(せご)どん」と親しまれた仁徳の人、徳川幕府を震え上がらせた策謀家、鹿児島と地元の仲間を愛した温情の士、そして明治政府に叛旗を翻した賊軍の大将など、西郷隆盛のパーソナリティーはとても複雑で、その事績も功罪ともに解釈が難しく、謎が多い。

そんな西郷の謎の中でも最大のものが、彼の顔だろう。歴史に興味がない人でも名前を知っていて、「目が大きい、太っていた」といった身体的特徴のイメージは広く認知されているのに、本当の顔立ちを証明する写真は遺されていない。

え? 西郷さんの顔知ってるよ、という気がするのは、イタリアの画家キヨッソーネが精緻に描いた肖像画の刷り込みが強いからだ。ちゃんと見れば絵だとわかるが、これを修正して、もっとまつ毛パッチリ黒目ウルウルにレタッチしたバージョンのインパクトが強く、意外にこれを西郷の顔を撮った写真だと思っている人もいる。

■ モンタージュされた顔

キヨッソーネは明治政府が紙幣を製造する際、指導役として招かれたいわゆるお雇い外国人。初来日は明治8年(1875)だから西郷はまだ生きていたが、直接会った記録はないし、この↑絵が描かれたのは西郷の死から6年も経った後のこと。

本人を見たことがないのに、キヨッソーネはどうやって肖像画を描いたのか?タネ明かしすれば単純なことで、西郷の弟・従道から顔の上半分を、従弟の大山巌から顔の下半分をモンタージュして、あとは想像で補って描かれたという。

その絵をもとに造られたのが、東京上野の西郷隆盛像。しかしこの像を見た妻のイトが「主人はこんな人じゃない」という意味の発言をしたことから、「西郷はあの顔じゃない説」が広まることになった。実はイトは顔立ちについてではなく、着流しで出歩くようなだらしない人じゃない、という意味で言ったという説もあるが、本当のところはわからない。

イトさんとはちょっと違った感想を持ったのが、血を分けた実の弟・西郷従道だ。キヨッソーネが描いた兄の肖像画について、ある人物から「あの顔は西郷に似てないよな!」と詰め寄られ、「西洋人くさくなりもした」と苦笑いしたという。イタリア人が描いたんだから仕方ない気もするが、従道の天然ぶりがわかるエピソードである。と同時に、弟には「兄の実際の顔立ちとは違う」と感じられたことがわかる。

■ 板垣退助の異常なこだわり。あるいは愛

この時、従道に詰め寄った人物というのが板垣退助。幕末には薩摩と土佐が結んだ軍事同盟・薩土盟約を軸に、西郷とともに倒幕戦から戊辰戦争を戦い、維新後も明治政府で同じ参与職に就いた同志。個人的にも西郷の人柄を好み、特にその顔立ちに愛着があったようで、自ら画家のパトロンになって西郷の顔を描かせている。

板垣の西郷の顔へのこだわりは異常なくらい強く、上野の西郷像も「あれは本当の顔じゃないから改鋳するつもり」と言ってみたり(どんな権限で?)、雇った画家と一緒になって「あれほどの偉人の“間違った顔”が世間に広まるのは悔しい!」と嘆いてみたり。そして従道にも詰め寄ってしまうのである。

キヨッソーネの肖像画だけでなく、当時は別人を撮影した「西郷写真」(つまりニセ西郷の写真)があちこちで売られていたことも、板垣の憤慨と関係あるかもしれない。が、この話はまた稿を改めて。最後に余談を。板垣は「西郷は俺の親父殿と顔が似ていた」と語ったこともある。案外こだわりのワケは、板垣の父ちゃん愛にあったのかもしれない……?

【ボクらの維新通信社2018/肥後恵介】(東京ウォーカー)