西野亮廣(キングコング)が原作・脚本・製作総指揮を務める『映画 えんとつ町のプペル』が話題だ。この冬最も注目される映画のひとつである本作の公開を記念して、西野をよく知る6名の著名人による応援コメント動画が配信されている。今回は、西野にとって最大の理解者であり盟友であるSHOWROOM株式会社の代表・前田裕二が、本作の見どころを未公開コメントとともに紹介。「映画は心の映し鏡」と語る前田の心には、この映画を通じてどんな思いが訪れたのか?

――ご覧になっていかがでしたか?

「終わった瞬間、いろいろな想いが強襲してきて、体がしびれて動けなくなりました。普通終わったあとって、パってスマホ出したりとかしたくなっちゃうものなんですけど、終わってからたぶん、10分以上、スマホを取り出せなかったです。なんだか、止まっちゃって。涙がどっと出た。気づけば1度じゃなくて、3度くらい泣いちゃいました」

ーーそれはどんなシーンで、何を思ってのことだったんですか?

「芦田愛菜ちゃんが一番好きなシーンだって仰っているところと同じなんですけど、『友達ですから』と言って、プペルが本当の友情とは何かということを考えさせてくれるシーンです。(プペルの頭の一部である)ブレスレットを取ったら本人は死んじゃうかもしれないのに、自分を犠牲にしてでも自分の大事な人のために何かをするっていうこと。もはや見返りを求めない無償の愛ですよね。今、コロナ禍にあって、見返りとか関係ないところで、一生懸命戦ってくれている人がいる。その人たちのために何ができるか?といつも考えますが、たぶん、コロナを受けて、こういう気づきや念が自分に染み付いている中で観たプペル(映画)だったので、すごく響いた。こういう、自分が普段感じていることと、この映画が教えてくれることが僕の中ですごいリンクしてめちゃくちゃ泣いてしまったのかなと思います。プペルが言うこと、ルビッチが感じることが、どうにも、人ごとに思えない」

ーーものすごく前田さんの心に深く刺さったんですね。

「まさに。刺さった、という以上に、もう、自分や、自分の大事な人たちの姿が、投影され過ぎて。個人的な考えなんですけど、映画って“心の映し鏡”だなと常々感じていまして。映画という鏡を通じて、今この瞬間、自分の心はどういう状況なのかとか、今何に悩んでいて、(何に)喜びを感じているのかとか、苦しんでるかとか、そういう心の繊細な状況をまさに映画という鏡が鮮明に映し出してくれるっていうものだと思うんですが、プペルを観て、『こんなに綺麗な鏡ないぞ』って、本当に思いました。ああ、自分ってここでこんなに心動くんだなとか、このポイントが刺さるということは、母親を重ねてるよな、とか。親にもらった愛情をこの映画を通じて再確認してるな、とか。いろいろ感じさせていただきました。本筋の『えんとつ町のプペル』のストーリー自体に入り込むってことはもちろんなんですけど、プペルを通じて自分自身の心の中をのぞき込むという、自分と向き合う時間になったなと思って、それがすごく良かったですね」

ーーこの映画で、普段は自分でも気づかないような感情と向き合うことができるのはなんででしょう?

「たぶんそれは、心をのぞき込むための切り口やフックが、たくさん散りばめられているからだと思っています。まさにここまでお話してきたような無償の愛を伴った友情というのもそうですし、親の子に対する愛情もそう。足が震えて前に進めないけれども『勇気を出して今こそ立ち上がるんだ』という挑戦の切り口もそう。えんとつ町の煙も、いまとなっては、イコール、町中に蔓延するコロナであるというふうに見えてきて、これもすごいアナロジーですよね。コロナウイルスで町が埋め尽くされているときに、でも、コロナの晴れたその先、という未来を夢見て頑張る。これはまさに、今の我々ですよね。こういった、自分の心をのぞき込むために必要な“小さなヒント”みたいなものが、作中にたくさん描かれている。そのヒントを通じて、自分の心の中を思いっきりえぐり出される感じがするから、抑えきれず、あんなに泣いちゃうんだな、と。要は、“他人の物語を見ているのに、気づけばいつのまにか、自分の物語に変わっていく”という感覚。だから、感動するんだろうなと思いました。最初は全く知らない別の世界の物語として観てるんですけど、途中で僕は、母親が早くに亡くなっていることもあって、母親が遺してくれた有形無形の形見と、プペルのブレスレットをすごい重ねてしまって、涙が止まらなくなったんです。こんなふうに、この映画にこれから何人の物語がクロスしていくのか、かけ合わさっていくのか。西野さんの作った“他者の物語”であるプペルがこれから何回、いや何十万回、誰かにとって“自分の物語”になるのか、温かく寄り添っていくのか、これを想像するだけで、めちゃくちゃ震えますし、ワクワクしますね。なんだか熱く語っちゃって恐縮なんですが(笑)」

――いえ、お話をうかがって感動してます(笑)。

「(僕にとっては)お母さんがいつか、こんなふうに、どこかに現れてくれているのかな、とか、ゴミ人間みたいに生まれ変わりがいるのかもしれないよなあとか。そういうふうに映画を観るのって、自分の母親との温かい思い出や、経験があるからじゃないですか。たぶんあの映画を『ルビッチ可愛いなぁ』とか『お父さん(ブルーノ)優しいなぁ』と観る、という見方も当然あると思うんですけど、『こういうふうに観てほしいな』って僕が思うのは、繰り返しですが、自分の物語として観てみること。自分の思いとか物語とプペルの物語を重ね合わせたときに生まれる物すごいケミストリーというか、爆発みたいなものがある。それを感じたときに、初めて、この映画が皆さんの心に与える価値が何倍何十倍にも肥大化していくと思う。そういう意味では、何回も観たいなと思いましたね。一回引いた目で観てもいいし、そうじゃなくてグッと自分の物語を入れ込んで観ることもできるし。それはたぶん今みんなが悩んでいるテーマとか、深層心理で思っているような心のもやもやを作品の中に入れ込んでくれているから、成立することだと思う。生きていく上で欠かせない大切なことを気づかせてくれる美しいストーリーだと思います」


ーー物語を観る、というより、物語に入る、という感覚ですか?

「まさしく。物語の中に入り込んで、自分の物語にどれだけできるかで、感動の度合いが変わるんだと思います。もはやプペルを見ると、自分の母親としか見えなくなっちゃって。後半本当に、ずっと泣いてました、そして、いま目がめっちゃ赤くて腫れている(笑)。ほんともう、『やられた―』という感じですね。『すごいわ、西野さん。完全にやりきったな』と思って。僕は西野さんは盟友というか大親友なので、西野さんとプペルを重ねちゃうから、『あのときは本当につらかったね』と思って心寄り添ってしまって、めっちゃ感情移入して観ちゃいました」

ーー西野さんがこの作品に込めた思いが、前田さんのいろいろな思い出や感情を呼び起こしたんですかね。

「はい。母親を重ね、西野さんを重ね、周りにいる大事な人たちとの友情も重ねて、このコロナ禍でコロナという煙の先に星があるんだと信じて頑張っている人たちの思いも、四重にも五重にも重ねて……。こんな感動できる映画ってなかなか……。久しぶりに心が震えました。ありがとうございました」

ーー重複してしまうんですが、どんな観方をしたらより楽しめるよ、というのを最後に教えていただけますか。

「何度でも言いますが、引いて観るというよりは、自分のストーリーをいかに重ねるかっていう視点で観ると、すごく楽しめるんじゃないかなって思います。ストーリーを重ねるって抽象的ですけど、もっと具体的に言うと、『キャラクターに、自分の愛する誰かを重ねて観る』といいんじゃないかと思います。僕だったら、西野さんとかお母さんとか。誰かを重ねるということを通じて、この映画が100万人の人に届くとしたら、100万人分の物語に変わる。『えんとつ町のプペル』という、単一の物語じゃなくて、100万個の物語になる。こんな未来に、僕はすごくワクワクしています」